マーカーは慶岸寺です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「岩戸」上に慶岸寺が描かれています。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年の地図の五軒家の右方向に描かれている「卍」が慶岸寺と思われます。
慶岸寺
[慶岸寺は、村民河合氏が開基となり、僧然度(正保2年1645年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による慶岸寺の縁起
(岩戸村)慶岸寺
除地、境内共三段、中央より三町を隔てて北の方にあり、榮氷山道安院と號す、浄土宗、郡内喜多見村慶元寺の末、開山然度正保二年四月十五日遷化、開基は村民河合氏とのみ傳へり、客殿東向、七間に五間半
本尊弥陀木の坐像一尺五寸を安せり。
地蔵堂。客殿の東にあり、二間に一尺西向き本尊地蔵は木の坐像一尺八寸、厨子入にて彩色を施せり。(新編武蔵風土記稿より) (「慶岸寺|狛江市岩戸北にある浄土宗寺院 – 猫の足あと」より)]
カメラ西南西方向の大屋根が慶岸寺本堂です。