押立渡し

マーカーは押立渡し碑です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で押立の下に多摩川の横断道が描かれています。この地図の頃は、土橋が架けられていたようです。

押立渡し
[押立渡しは, 押立と 対岸の押立南部(現稲城市)とを結んでいた渡しで, 押立村が経営していたことから その名があります。
 新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)の「押立村」の項には, 「土橋, 多摩川に架す, 長さ34・5間, 4月より9月までは橋を廃し, 舟を用ゐて渡せり」 と誌されており, 多摩川の水量の多い時期には 渡船による往来の便が施されていたようです。
  この渡しは, 下流の多摩川原橋(昭和10年)や 上流の是政橋(昭和16年)の開通によって その存在性が薄くなり, 次第に消えていったようです。
          平成元年12月   府中市  (「渡し碑コレクション/押立渡し」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「多摩川」(10-30)、「多摩川其二」(10-31)、「多摩川猟鮎」(10-32)
多摩川(拡大図)

[図会の場所は押立渡しの下流側、調布市から狛江市にかけて多摩川左岸から右岸を描いています。右ページに「矢の口(矢野口)渡」、その左に「菅村」、「中の島」、「菅生」、「登戸」と記述されています。]

多摩川其二(拡大図)

[図会は上図会の下流で、狛江市から対岸を描いています。絵図中央に「宿河原」と記述され、左ページ左下に「駒井」と記述されています。]

多摩川猟鮎(拡大図)

歌川広重・無題 江戸下町名勝 多摩川ノ里(ボストン美術館)

   
押立渡し – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が押立渡し碑です。