マーカーは教学院です。
教学院
[真言宗智山派寺院の教学院は、西円山と号し、文永5年(1268)長全法印が永福寺として北方の丸山に開山、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山しました。江戸時代中期に三宝寺の末寺となり、当地に移転、西円山教学院と改称しました。豊島八十八ヶ所霊場46番札所です。
『練馬区教育委員会掲示による教学院の縁起
教学院は、山号を西円山といい、真言宗智山派(豊島八十八ヶ所霊場第46番札所)のお寺で本尊は十一面観世音菩薩です。寺伝によりますと、文永5年(1268)長全法印により開山され、その後正平9年(1354)児玉郡本庄城主の荘弘泰、弘朝父子が武蔵野合戦の後橋戸村に土着し、当寺を菩提寺としました。その後永い間衰微していたのを、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山となって復興したといわれています。明るい墓地には江戸時代初期からの荘氏累代の五輪塔や、宝篋印塔があります。また付近にあって廃寺となった真福寺歴代住職の墓もあります。境内には荘氏由緒碑や馬頭観音、奪衣婆、閻魔、十王像と壇拏幢(だんだとう)(区登録文化財)は閻魔王の人頭杖を模したもので、元禄3年(1690)橋戸村の荘氏が造立したものです。』 (「猫のあしあと – 教学院」より)]
閻魔・十王像と檀拏幢 (えんま・じゅうおうぞうとだんだとう)
[教学院境内には、仏教の教義で死者を生前の善行・悪行により裁き、その死者のいくべき世界を定めるものとされる閻魔・十王の像があり、また閻魔の審判の様子を説き明かす檀拏幢(だんだとう)という珍しい石造物もあります。冥界の10人の王である十王とは、秦広王(しんこうおう)、初江王(しょこうおう)、宋帝王、五官王(ごかんおう)、閻魔王、変成王(へんじょうおう)、太山王(だいざんおう)、平等王、都市王、五道転輪王(ごどうてんりんおう)です。特に閻魔王は、地獄で悪を裁くものとして伝えられています。
閻魔・十王像は、石造の丸彫座像です。閻魔像は総高110センチメートル、十王像はいずれも72センチメートルあります。十王像10躯
のうち5躯の頭部は他像のもので接がれています。画像リンク
檀拏幢は、石造の竿状で蓮台の上に二つの頭像が彫られ、総高95センチメートルあります。蓮台上の顔をよく見ると、柔和な女相と憤怒の男相があります。閻魔が亡者を審判するとき、重罪であれば憤怒の男相の口が火を噴き、善行が勝れば柔和な女相から芳香が漂うとされています。閻魔はこれを見て罪の軽重を判断したと言われています。画像リンク
閻魔・十王像それぞれの背面と檀拏幢の蓮台には、元禄3年(1690年)11月善日に橋戸村庄氏出身の出家者浄信により建立されたことが刻まれており、これらは、一組を成して建てられたと考えられます。
昭和63年度区登録・平成10年度区指定 (「練馬区ホームページ – 閻魔・十王像と檀拏幢 (えんま・じゅうおうぞうとだんだとう)」より)]
カメラ西北西方向が教学院山門です。
カメラ西方向が教学院本堂です。