マーカーは新川天神社です。
新川天神社(石造庚申供養塔)
[新川天神社の創建年代は不詳ですが、野川村天神山に鎮座していたものを寛永16年(1640)当地に遷座、明治33年村社に列格したといいます。
■境内掲示による新川天神社の由緒
里老の言に依れば創立年月不詳と雖も往年は北多摩郡野川村天神山に鎮座せる処、寛永(一六二四〜一六四四)年間現在地天神前北浦耕地に遷宮元禄(一六八八〜一七〇四)年間本殿の修復を加えたり、以後明治十四年九月台風の為社殿倒壊せるに依り明治十五年二月再建す。
昭和参拾貳年拾月社殿老朽化せるに依り改修をなす。
近郷名士崇敬徳に篤く神徳顕著なり。(境内掲示より)
■「三鷹市史」による新川天神社の由緒
祭神、菅原道真。祭礼日9月25日。「新編武蔵風土記稿」によれば、天神山に鎮守されていたものを寛永16年(1640)現在地に遷座したとあり、威徳院が別当職にあたった。明治33年に村社となる。通称:新川天神社(「三鷹市史」より)
新川天神社所蔵の文化財
石造庚申供養塔(三鷹市指定文化財)
庚申信仰は中国から伝わり、平安時代の貴族社会に行われた。その後庶民の間に伝わり、近世になると農村生活に庚申講が広まり、庚申供養塔が建てられた。
この塔は、初期の庚申塔らしく刻像は日月と三猿のみで簡素ながら美しい。(三鷹市教育委員会掲示より) (「新川天神社|三鷹市新川の神社、旧村社 – 猫の足あと」より)]
「新川天神社 – Google Map 画像リンク」、「石造庚申供養塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向が新川天神社参道です。
カメラ西南西方向に石造庚申供養塔と案内板があります。
カメラ位置は東鳥居で、カメラ西方向に新川天神社拝殿があります。