旧品川道(いかだ道)案内板

マーカーは旧品川道(いかだ道)案内板です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の「上布田散家」左・五差路上二又間が旧品川道(いかだ道)案内板設置場所になる場所です。

旧品川道(いかだ道)案内板
[旧品川道(いかだ道)
 この掲示板の脇に東西につながる道は、かつての品川道である。
 この道は、今の府中武蔵国府がおかれたころ、相模国から国府に行き来する旅人たちの交通路であるとともに、東海道方面に通じる脇街道であったという。また、府中の大国魂神社(六社宮)の大祭にさいして清めに用いる海水を、品川の海から運ぶための重要な道であった。
 この品川道は、府中から調布を通り、狛江世田谷を経て、品川の立会川付近で東海道に結ばれていたといわれている。近世になると、筏乗(いかだのり)たちが多摩川の上流から河口まで材木を運びその帰り道に利用したので「いかだ道」とも呼ばれていた。このような由緒ある品川道も、今では市内のところどころに残るのみである。
  (国府は政府の出先機関としての役所)
  平成元年二月十日  調布市教育委員会]

旧品川道(いかだ道) – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向に旧品川道(いかだ道)案内板があります。