藤沢家長屋門

マーカーは藤沢家長屋門です。

藤沢家長屋門
[藤沢家と長屋門 = 名主 ・ 中田村右衛門の居宅跡
鬱蒼と樹々の茂ていた広い大きな一区劃に大きなビルが建ちました 。昔は、この一角は中田家の本家、中田村右衛門の居宅でした。戦後、藤沢乙安(現・ぎようせい)氏がここの土地建物を購人し、当時、新宿以西では一番高い建物を建てました。アメリカンエキスプレス・インターナショナルinc日本本社が賃貸入居して、通称アメックスビルと呼ばれていますが、正しくは藤澤ビルです。
長屋門:中田家は名主でしたので長屋門があります。徳川家光鷹狩りで当地で休むために中田家に名主の格として長屋門を許しました。戦後、藤澤乙安氏が中田家から土地などの譲渡の条件に、「長屋門は残す」ことがありました。そこで、ビルを建てる時、設計の都合で東向きであった長屋門を明治天皇お休み所の碑と共に南側に移設して残しました。
彰義隊:上野の山で官軍との戦いに敗れて敗走した彰義隊は飯能へ向かいました。青梅街道をたどり、ここで新撰組と合流し、隊を整えて会津に行きましたが、その途中に名主。中田家宅に寄り休息を取りました。まだ誇り高い武士の振るまいと士気旺盛な様子の記録が、この土地の寺子屋の師匠をしていた加藤佐五左衛門の伝記に記されています。
明治天皇御休所:
長屋門の脇に「明治天皇荻窪小休所」の石柱があります。昔は木柱に墨書きされていたものでした。そのいわれは、明治天皇が飯能で行われた陸軍の演習地に向かわれる途上、名主・中田家に休まれたことによります。また、その後には、皇后が小金井のお花見に行かれる際に小休されました。大正1 5 年に東京府史跡に、昭和9年には文部省史跡に指定されました。戦後にそういう指定がなくなり、指定解除されました。  (「荻窪界隈の歴史散歩 東南コース/ (平成23年5月10日) | 荻窪百点.com」より]

明治天皇荻窪御小休所 – すぎなみ学倶楽部

明治天皇荻窪御小休所 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が明治天皇荻窪御小休所跡長屋門です。