マーカーは松ノ木一丁目所在民間信仰石造物です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
松ノ木一丁目所在民間信仰石造物
[所在地:杉並区松ノ木1丁目5番10号
登録年度:平成27年度
この民間信仰石造物は、松ノ木一丁目の御堂の中に祀られている。松ノ木村落の出入り口にあたり、旧和田村の大宮八幡宮の前から宮下橋を渡り、田端村方面に通じる鎌倉街道の道沿いに位置する。
御堂内には、右から貞享二年(一六八五)銘青面金剛立像、明治二十九年 (一八九六) 銘青面金剛立像、 享保五年 (一七二〇)銘青面金剛立像の順で安置されている。
右端の貞享二年銘青面金剛立像は笠付角柱型浮彫で、路傍にある庚申塔では区内で四番目に古いものであり、保存状態もよい。当時、江戸中心部では駒型の庚申塔が流行していたが、武蔵野を含めた西部において庚申塔の出現及び流行の伝播は遅く、笠付型の庚申塔が流行していた。正面の三猿の岩座の下には講員の名前が刻まれており、享保六年(一七二一)に描かれた和田村の絵図をみると同一の名前を数名確認することができる。
中央の明治二十九年銘青面金剛立像は尖頭角柱型線彫で、左側面に願主名が刻まれている。しかし、他の二つの塔に比べて制作時期は新しいものの、風化が進んでいるように見受けられる。
左端の享保五年銘青面金剛立像は舟形浮彫で、村名が刻まれているのはこの一基のみである。また、貞享二年銘の青面金剛像と同様に三猿が刻まれている。
これらの石造物は、江戸時代中期から明治にかけての松ノ木の講の活動を示し、村の情勢を物語っている。昔の講の形は無くなっているものの、現在も近隣の住民によって結成された保存会によって守られている。現代社会における新しい民間信仰の形態を知る資料としても、大変貴重な文化財である。 (「松ノ木一丁目所在民間信仰石造物の詳細」より)]
松ノ木一丁目所在民間信仰石造物案内ペーパー(Google Map 画像)
カメラ西方向が松ノ木一丁目所在民間信仰石造物です。
松ノ木一丁目所在民間信仰石造物(Google Map 画像)