マーカーは法仙庵です。
法仙庵
[当庵は、釈迦如来坐像を本尊とする寺院です。
その初めは文久年間(1861~63)阿佐谷村名主・第10代・相沢喜兵衛と玉野惣七が発起人となり散在していた家墓を集め、村共有の地に地割を平等にして造った共同墓地です。
そして、墓地管理のため、相沢家の土地に本堂を建立し慶応年間(1865~68)江戸浅草・海運寺(現杉並区成田東4-18-9)末寺・観音庵(現新宿区新宿7-3-1)より実山見道尼を初代庵主として請じて、開創したのが当庵です。
本堂は戦災で焼失したため昭和31年に再建されたものです。
東側の塀に沿った道は、権現道と呼ばれた古道で練馬・円光院子の権現(貫井5-7-3)におまいりに行く参詣道でした。今でこそ賑わっているパールセンターの通りも権現道で、大正の初めごろは、雑木林や畑の中の道でした。また、当庵墓地の北側は茅山で、狐がすんでいたということです。これらの昔の姿は全く失われましたが、わずかにその狭い道幅や曲がりぐあいが、古道の面影を残しています。
当庵の文化財としては、文保2年(1318)・元徳3年(1331)・宝徳元年(1449)銘及び年代不明2基の板碑5基があります。この板碑については『新編武蔵風土記稿』阿佐谷村小名小山の項に「此所ニ古碑五基アリ三基ハ文字摩滅シテ見ヘス二基ハ文保二年元徳三年トシルセリ」とあり、また、『武蔵名勝図会』にも同様の記述があることから、これらの板碑は、この地域を知る上から極めて貴重な史料と言えます。
平成2年3月 (「122 法仙庵 【寺院】(阿佐谷北2丁目38番22号)|杉並区公式ホームページ」より)]
カメラ西北西方向が法仙庵山門です。
法仙庵本堂前のカメラです。