洋菓子とフランス料理「こけし屋」

マーカーはこけし屋です。

※こけし屋は西荻窪の地で73年の営業を続けてまいりました。昭和54年には駅前の本館を新しく鉄筋にて建築しましたが、40数年が経ち老朽化が否めなく、この度、100年こけし屋を目標に別館と併せて建替えることにいたしました。営業は一旦、令和4年3月末をもって終了し3年程度の建築期間後またあらためて営業を再開する予定です。  (「こけし屋」より)

洋菓子とフランス料理「こけし屋」
[こけし屋の場所は、戦前までは「大石洋品店」という洋品屋であった。
運よく戦災を免れ焼け残ったこの敷地を、洋品屋の息子の大石總一郎と従兄の安田善一が甘味屋としてたてなおし、近隣の文化人をはじめ、たくさんの人々がこぞって集まるようになった。
戦後、世の中がまだ落ち着かない中、せめて文化的なことを吸収したいとの思いから、毎週土曜日の夜に「こけし会」という、西荻界隈の文化人を講師に招き、近所の店主や学生、主婦などを対象にした文化講座を開いた。
屋号の「こけし屋」の名づけの親は安田であった。
昭和24年の夏、店内にひっそりと飾られていたこけしを見た安田は「国破れても日本の国の伝統は残っている。この店の名はこけし屋でどうだ。」と言ったことから名付けられたという。

この店の包装紙や箱には可愛い西洋人形のような女性の絵が描かれていて、店のシンボルになっている。絵の片隅に「す」のサインがある。この絵を描いたのが昭和の洋画壇で活躍した鈴木信太郎(1895~1989)。アンリ・ルソーを思わせるような素朴な画風で知られた。色彩が鮮やか。とくに緑が美しい。
西荻窪の駅前広場は、ベレー帽姿の画家たちの姿が目立ったので、戦後の一時期「ベレー帽広場」と呼ばれたほど。
「こけし屋」はそうした中央線沿線に住む文士や画家たちがよく集まった。石黒敬七が会長となり、井伏鱒二丹羽文雄徳川夢声東郷青児田河水泡らが「カルヴァドス会」という会をもった。「カルヴァドス」は、戦後公開された映画「凱旋門」(1948年)のなかでイングリッド・バーグマンがパリのビストロで飲んでいたりんごのブランデー。
鈴木信太郎もこの会のメンバーだった。それが縁で「こけし屋」の包装紙を手がけたのだろう。没後二十年たってもまだ鈴木信太郎の絵が日常的に見られるのは楽しい。  (「こけし屋と西荻窪の歴史」より)]

こけし屋 本館 – 西荻窪/フレンチ [食べログ]」、「毎月第2日曜の幸せ。東京・西荻窪「こけし屋」のグルメ日曜朝市がすっごく …

こけし屋 – Google Map 画像リンク

2020年11月画像 – カメラ東南東方向がこけし屋で、現在新築中。