マーカーは渡辺家墓地月待板碑です。
「【国分寺崖線・坂とはけの道めぐり】こがねいてくてく … – 小金井市のイ」
白伝坊の坂
[白伝坊の坂(坂上方向) 中町4-18と1-9の間を南に下る。
万延(1860)ごろから明治初めにかけ、この坂中段、西側にある墓地に「白伝」という僧が住みついていた、農家を托鉢して回ったといわれいつしか「白伝坊の坂」と呼ばれるようになった。昭和15、16年ごろの墓地整理で、炉跡、井戸などが見つかり、小さな白伝の墓碑もあったといわれる。【坂標】 (「小金井市の坂-2: 坂道散歩」より)]
渡辺家墓地月待板碑
[写真左(画像リンク)の月待板碑は、高さ67cmの緑泥片岩(りょくでいへんがん)製で、頭部を欠き、碑面の剥落(はくらく)が著しく判読しにくいが、「奉月待供養 天文七年戊戌(ぼじゅつ)十一月廿三日」とあり、左右に道俗(どうぞく)(出家と在家)男女27人の名が刻まれている。月待供養は毎月23日の夜に月天子(つきてんし)を祭る庶民信仰である。
室町時代末期の天文7(1422)年、この付近に集落があったことが分かる貴重な資料である。
なお、並立する板碑(写真:右)は延慶2(1309)年造立の板石塔婆 (「小金井の指定文化財(市指定文化財その1) – 小金井市」より)]
カメラ西方向が渡辺家墓地月待板碑を納める祠で、カメラ北北西方向に白伝坊の坂の標柱があります。
カメラ北西方向に白伝坊の坂の標柱があります。