溝合神社・庚申坂

マーカーは溝合神社です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図の小田分の右上方向が溝合神社・庚申坂になります。

溝合神社・庚申坂
[東郷寺の向かいの道から東へてくてくと歩いていくと…
まず、『府中に夢中』にも出てきた「溝合(みぞあい)神社」にたどり着きます。
ここは、『阿知賀(あちが)編』第6巻に掲載されている話の扉絵(カラーイラスト)に背景として使用されています。
府中市が昭和52年3月30日に発行した『武蔵府中叢書第5巻 ―府中市の町名地番―』によると、明治22年4月1日に多磨村になる前、このあたりは「小田分(おだぶん)村」という村があり、字名が「溝合(みぞあい)」だったことそうです(ちなみに、府中市は、昭和29年4月1日に府中町、多磨村、西府村が合併して誕生しました)。
この「小田分字溝合(おだぶんあざみぞあい)」は、「東京都公報(号外68)昭和29年4月25日(土曜日)東京都告示第369号」にて廃止され、この呼び名だった場所は現在、「小柳町2丁目」、「小柳町3丁目」の一部となっています。  (「溝合神社・まむし坂 東京都府中市ホームページ」より)]

庚申坂(こうしんざか)
[この坂の名は、溝合神社にまつられている「庚申石橋供養塔 」「青面金剛像」の二つの庚申塔に由来します。
 庚申信仰は、江戸時代に広く流布した民間信仰です。これは人の身中にいて人を短命にする三匹の虫(三尸 )を除いて長生きを願うという信仰です。この信仰のために人々は講をつくり、六十日に一度の庚申の日に寄り合い夜を明かします。また、講中では盛んに供養の庚申塔を造っています。庚申塔は、現在六十四基あります。
昭和六十年三月  府中市  (「「庚申信仰」案内板一覧 – Monumento(モニュメント)」より)]

各地の庚申塔(府中市-27) ( 歴史 ) – TATSU**のブログ(東京都+川崎市 …

六花 ハケの道

溝合神社 – Google Map 画像リンク」、「庚申坂 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が溝合神社で、左道路が庚申坂です。坂右に庚申坂の碑があります。

溝合神社祠には庚申塔が祀られています。