マーカーは武蔵府中熊野神社古墳です。
熊野神社
[創建は江戸時代初期と伝えられています。例大祭は9月中旬の土日に行われ、祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)です。もとは今の第五小学校の東側にありましたが、安永6年(1770)に現在地に映されました。拝殿は、天保9年(1838)に再建されました。本殿と拝殿は、市有形文化財に指定されています。また、本殿北側には国指定史跡「武蔵府中熊野神社古墳」があります。 (「熊野神社 | ぶらり国・府」より)]
武蔵府中熊野神社古墳
[武蔵府中熊野神社古墳(むさしふちゅうくまのじんじゃこふん)は、東京都府中市にある上円下方墳である。2005年7月14日、国の史跡に指定された。
武蔵府中熊野神社古墳はその名の通り、府中市にある熊野神社境内の本殿北側にある。神社の境内にある小山が古墳であるという説自体は以前から存在し、地元では関東大震災の時に墳丘の一部が崩壊するまで石室の中に入れたとの言い伝えがあり、穴に入ることが出来たことから神社の敷地内にある小山のことを洞穴(ほらあな)と呼んでいたが、最近まで古墳であるかどうかの確証がつかめなかった。
2003年(平成15年)5月、熊野神社の小山の発掘が開始された。発掘後まもなく古墳であることが確認され、2003年の年末には三段築成の上円下方墳であることが確認された。翌2004年(平成16年)には石室内や周辺の発掘が行われた。
三段築成の上円下方墳である。一段目は一辺約32メートル、高さ約0.5メートル、二段目は一辺約23メートル、高さ約2.2メートルでそれぞれ方形をしており、三段目は直径約16メートル、高さ約2.1メートルで円形を呈している。なお三段目は古墳完成当時は5メートル程度の高さがあったものと推定されている。墳丘は古墳周囲から掘削した土や砂利、そして石室築造時に用いられた軟らかいシルト岩の削り屑などを突き固めて造成する、版築工法で築造されている。
一段目の周囲には、石室に使用されたものと同じシルト岩を、40~45センチメートル×35~45センチメートル×15センチメートルに加工した縁石を並べていた。二段目、三段目には葺石として楕円形の川原石が葺かれている。二段目の葺石が約15センチメートル×10センチメートル大であるのに対して、三段目は二段目よりも大きい約40センチメートル×25センチメートルの石が用いられており、視覚的に二段目の方形部と三段目の円形部を区別している。また二段目の平坦部には川原石の貼石が敷かれていた。
周濠については墳丘の至近距離からは発見されていないが、古墳本体の東側と南側の少し離れた場所から、幅約6メートル、深さが2メートル以上の落ち込みが2ヶ所確認されており、その結果から、一辺およそ90メートルの大きな周濠が存在する可能性がある。
古墳の主体部は複室構造の横穴式石室で、八の字に開く前庭部と呼ばれる墓前域、そして入り口側から前室、後室、玄室という3室があり、一段目墳丘上に造営されている。
玄室の奥の方からは直径約9センチメートル、深さ約26センチメートルの小土坑が検出された。これは石室を築造する際、中軸線を示す基準となる杭を打った穴の跡ではないかと見られており、武蔵府中熊野神社古墳が計画性を持って築造されたことを示している。
石室の床面には直径10~20センチメートルの多摩川の扁平な川原石が敷かれていた。石の形によっては端の一部を削って形を整え、床一面に石を敷けるように工夫されていた。また、玄室の奥壁から「歩兵第一聯隊第一大隊附四名」と書かれた落書きが見つかった。これは明治時代、石室が開口していた時代に書かれたものと推定される。武蔵府中熊野神社古墳は明治時代には開口していたために、古墳内部の副葬品の多くは持ち出されてしまったと思われ、鉄地銀象嵌鞘尻金具1点、刀子4点、鉄釘多数、ガラス玉6点が出土したのみであり、副葬品はわずかしか出土しなかった。
武蔵府中熊野神社古墳墳丘・wikipedia-photo
熊野神社社殿(右)・古墳墳丘(左奥)・wikipedia-photo
墳丘 南辺(左に石室開口部)・wikipedia-photo
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カメラ北方向が熊野神社参道です。
武蔵府中熊野神社古墳碑と案内碑前のカメラです。
カメラ南西方向が武蔵府中熊野神社古墳です。