マーカーは狛江の「追分」です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「和泉」の上の二又が狛江の「追分」です。]
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で、「和泉」の下の二又が狛江の「追分」です。
狛江の「追分」
[中和泉3-4-10に、像を刻んだ石塔と、石を貫通させた標識による追分があります。ここは、多摩川上流の村々からいかだ流しで川を下った人々が往来した品川道に面しており、江戸時代に建てられた石塔と、その隣に並ぶように標識が建てられています。
追分とは幹線街道から支線街道への分岐点のことです。石の切削面の仕上がりや、ステンレスを標識の材料に用いた心配りは、現代の技術力と制作者の心使いを表していると言えます。石塔と標識の組み合わせは、道標の過去と現在の時の流れを感じさせるものです。ここで、推薦いただいた方のコメントを紹介します。
「伊豆美神社を背に東へ100メートルほど行くと道が左右に分かれる追分があります。仁王像を刻んだような小ぶりの石塔があり、その脇にモダンな標識があります。いわく「西 府中道」「右 地蔵尊、渡し場道 左 江戸青山、六郷道」。石塔には「西 府中道」や「和泉村」等の文字が見えます。
はるか昔から人々の往来を無言で見つめてきた道。辺りの景観は変わっても、道には何か語りかけるものがあります。ここで足を止め、また先を急いだ旅人もあったでしょう。通るたびにいにしえの人々の営みに思いをはせる狛江の小さな『いいところ』です」 (「狛江のまち―魅力百選(1141号7面) – 狛江市役所」より)]
カメラ東南東方向に石塔と標識があります。