マーカーは田中稲荷です。
田中稲荷と堀之内新道
[田中稲荷神社は、「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神で、高円寺天祖神社(高円寺南1-16)の境外末社です。創建等の由緒については不詳ですが、桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれています。
以前は、毎年2月最初の午の日(初午)に村の家々で赤飯を炊いておむすびを作り、神前に供えて豊作を祈願したとのことです。現在でも「稲荷講」として、一月遅れの3月の初午の日に、近くの商店や町会の人々によって続けられています。
当社の前の道は、「堀之内新道」です。この道は、中野で馬糧商を営み、日蓮宗の熱心な信者で妙法寺の檀家総代をしていた関口兵蔵が、明治29年に私財を投じて作ったものです。中野駅から田中稲荷神社の前を通り、現在の蚕糸の森公園の西側を経て堀之内妙法寺の門前までの農道を整備して、道幅4間(7.2メートル)距離約2キロメートルの新道を作りました。「かいば屋」の叶屋が開いた道なので、通称「かいばや道」つまって「かいば道」といわれました。新道は、参詣人や地元の人々にたいへん喜ばれ、昭和3年翁の功績を讃えて地元有志により、「故関口兵蔵翁開道記念碑」が建てられました。
平成5年3月 (「141 田中稲荷と堀之内新道 【神社】(高円寺南1丁目30番)|杉並区公式 …」より)]
[古くからある鍋屋横丁からの参道に加えて、明治時代に作られた中野駅からの参道も残っている。 こちらは、明治時代に中野駅が開業して以降、中野駅から妙法寺への参詣が便利になるよう、ある馬糧商が私財を投じて作った道で、 堀之内新道と呼ばれていたという。中野駅から南西に伸びる堀之内新道が、いったん青梅街道に出て蚕糸の森公園の角からやや細い道に入る地点には、今も大きな一対の青銅製の灯篭が目印として立って居る。 (「妙法寺 堀之内新道 揚げ饅頭 鰐口 菖蒲 – Ne」より)]
[地下鉄丸ノ内線東高円寺駅の北に伸びる東高円寺駅通りは、通称ニコニコロードと呼ばれています。青梅街道から大久保通りまでの 300mほどに、約30軒の商店が並んでいます。もともとは中野方面から妙法寺へのお参りに使われた参道で、道幅は広くありませんが、生活に密着した個人商店を中心に地域住民に親しまれてきました。 (「ニコニコロードが – 杉並区」より)]
「東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「番地入最新杉並町全図」、「豊多摩郡和田堀町全図」
「番地入最新杉並町全図」中央右端・中野町左に字東山谷の上に稲荷と記述されているが田中稲荷と思われます、しかし、その下の田中稲荷は? 田中稲荷前の通り – 青梅街道 – 乗合自動車(築地-妙法寺間)のラインが堀之内新道です。「豊多摩郡和田堀町全図」では堀之内新道の上に環状七号線の計画ラインが描かれています。
「田中稲荷神社|杉並区高円寺南の神社 – 猫の足あと」、「田中稲荷と堀之内新道 – Monumento(モニュメント)」
カメラ位置は堀之内新道で、カメラ西方向が田中稲荷です、参道右に案内板が設置されています。また、参道左に「故関口兵蔵翁開道記念碑」があります。
カメラ位置は青梅街道で、カメラ北方向がニコニコロードになります。
カメラ位置は青梅街道・蚕糸の森公園北東角で、カメラ南方向が堀之内新道で両サイドに青銅製の灯篭が立っています。