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真福寺
[真福寺(しんぷくじ)は、東京都三鷹市牟礼にある日蓮宗の寺院。山号は高栄山。旧本山は池上本門寺、池上・芳師法縁。境内には百日咳安産守護の釈宮宇治霊神を祀る。
天正年間(1573年-1591年)碑文谷法華寺(現在の目黒区の天台宗円融寺の前身)の日栄(高橋綱種の弟、慶長6年(1602年)没)を開山に創建した。 (wikipedia・真福寺_(三鷹市)より)]
[真福寺は、碑文谷法華寺(現天台宗円融寺)の日栄上人(慶長6年1602年寂)が開山となり創建したといいます。
●新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(無礼村)真福寺
境内除地2段、小名宿にあり。日蓮宗、荏原郡池上本門寺の末、高栄山と称す。客殿8間に5間南向、本尊は三宝を安置す。開山日栄は慶長6年11月6日寂せり。
七面堂。客殿に向て右の方にあり。2間に3間半西に向ふ。岩上に立し木像にて長1尺3寸許り。(新編武蔵風土記稿より)
●「三鷹市史」による真福寺の縁起
真福寺 高栄山 (牟礼1-2-17)
天正年代(一五七三-一五九一)牟礼村成立のころ、高橋綱種の末弟で目黒碑文谷の法華寺(日蓮宗、のちに天台宗円融寺となる)の僧であった日栄がひらいた。池上本門寺末で明治期には、お会式などはおおいに賑った。境内に百日咳・安産守護の釈宮宇治霊神(こうせんばあさん)があり、近隣の信仰が高かった。なお、高橋家開祖が陣中で用いたという法螺貝を寺宝としている。(「三鷹市史」より) (「真福寺|三鷹市牟礼にある日蓮宗寺院 – 猫の足あと」より)]
[高橋康種は牟礼に定住した天正19(1573)年、日蓮宗の寺・真福寺を開き、高橋家の菩提寺とした。明治初期には、後に東三鷹尋常高等小学校の初代校長を勤めた高橋亭之助がここで1年あまり村童の教育にあたった。寺の本堂脇に百日咳、安産などに効験のあった釈宮氏という尼の僧霊神を奉る香煎霊堂がある。 (「三鷹市 |市内の各スポット解説(井の頭エリア・牟礼エリア)」より)]
カメラ北方向が真福寺総門で、その奥に山門があります。
真福寺本堂前のカメラです。