石神井町7丁目一里塚跡

マーカーは石神井町7丁目一里塚跡です。

石神井町7丁目一里塚跡
[練馬区石神井町7丁目の、西武池袋線石神井公園駅近くの十字路の角の、「一里塚」が所在したとされる場所です。最近では、Googleマップにもこの地点が「一里塚」と記されているようです。
ふじ大山道川越街道の下練馬宿(現北町)を分岐点(下練馬の大山道道標)としており、春日町の一里塚を経てここがちょうど二里目にあたります。古くは一里塚の槙を田柄用水が北の方向に流れており、この奥に塚が残っていたともいわれているようですが、現在は塚の痕跡は全く見られないようです。
 敷地内には、延享3年(1746)の錆がある庚申塔が建てられており、その背後に「一里塚改築記念碑」が建てられています。
画像が、庚申塔の背後に立つ「一里塚改築記念碑」です。大正14年4月3日建立とされる石碑です。
 ここから西に200mほどの「子育て地蔵」には、練馬区教育委員会による「大山街道」の説明板(石神井町六丁目子育地蔵尊)が建てられており、次のように書かれていました。

 大 山 街 道
 大山街道は道者街道、富士街道ともよばれています。それは、阿夫利山ともいわれた大山へ、また大山から富士山への道者達が通ったからです。北町1丁目で川越街道から分かれて、石神井田無を経て伊勢原(神奈川県)に達していました。練馬の中央部をほぼ東から西南に横断して区内では約八キロメートルに及んでいます。そしてその分岐点には「従より大山道」と刻んだ道しるべが建てられたのです。
 旧暦の六月は、俗に祭月とよばれているように、江戸や関東の各地では、祭礼がさかんに行なわれました。阿夫利山も「水の無い月に雨降る山は開き」とあるように、六月二十八日が初山で、それから七月十四日まで、連日、関東の村々から集った人々でにぎわいました。その白衣の道者たちが通ったのがこの街道です。
  昭和六十三年三月
                 練馬区教育委員会  (「古墳なう 「練馬区内の一里塚」」より)]

一里塚 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が石神井町7丁目一里塚跡です。

石神井町7丁目一里塚跡(Google Map 画像)

石神井町7丁目一里塚改築記念碑(Google Map 画像)