マーカーは神通橋です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
地図を見ると、神通橋の周辺は1944年~1954年までの地図では水田で描かれ、1965年~1968年地図から宅地開発が進められたことがうかがえます。
[神通橋は善福寺川緑地の上流端にあたり、神通橋から五日市街道の尾崎橋までの約1.5キロの間に約400本の桜並木が続き、都内有数の花見の名所として知られています。
「100年前の荻窪・(江戸末期ー明治の荻窪): 荻窪雑記」による、およそ130年前(1880年頃)の地図では五日市街道及び現在の通称神明通りから田端神社、成宗五色弁財天、須賀神社前を通り青梅街道を横断し現在の阿佐谷パールセンターを通つて阿佐ヶ谷神明宮に至る道筋として描かれています。]
カメラ位置は神通橋で、カメラ南南東方向が善福寺川緑地です。