禅林寺

マーカーは禅林寺です。

禅林寺
[禅林寺(ぜんりんじ)は東京都三鷹市にある黄檗宗の寺院である。山号は霊泉山。
寺は三鷹駅の南方、三鷹市域のほぼ中央に位置し、境内には玉川上水に入水した太宰治の墓がある。墓は元あった寺院の被災により同寺に移転してきた森鴎外の墓の向かいに、鴎外を尊敬していた太宰自身の希望により建てられた。毎年誕生日(命日は6月13日)である6月19日には、太宰を偲んで桜桃忌が開かれる。
当寺域から北側は三鷹駅の北側まで境内と同じ幅で当寺の所有地が続くが、これは江戸幕府が割り当てたものである。
江戸時代初期 明暦の大火によって移住させられてきた神田連雀町の町民が浄土真宗本願寺派の寺院として創建。
元禄13年(1770年)8月 台風で倒壊、黄檗宗の賢洲元養が再興。禅林寺に改名
山門・wikipedia-photo

  (wikipedia・禅林寺_(三鷹市)より)]

[禅林寺・森林太郎(鴎外)の墓
禅林寺の山門わきに森鴎外の遺言碑があり、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス(中略)墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラス」と刻まれている。遺言通り「森林太郎」とのみ彫られた鴎外の墓は、昭和2(1927)年に向島の弘福寺からこの寺に移されたもの。それ以降、墓参のために、与謝野晶子斉藤茂吉永井荷風などが三鷹を訪れるようになった。
禅林寺・太宰治の墓
森鴎外を尊敬してやまなかった太宰治は、禅林寺にある鴎外の墓について、「花吹雪」(昭和19年発表)に「ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓所の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書いている。その意を汲んで、美智子夫人が太宰をこの寺の鴎外の墓の側に葬った。毎年6月19日の桜桃忌には、全国から多くの太宰文学愛好者がここに集まってくる。6月19日は太宰の遺体が発見された日でもあり、誕生日でもある。  (「三鷹市 |市内の各スポット解説(三鷹駅前エリア)」より)]

東京都三鷹市 霊泉山 禅林寺 公式ホームページ

禅林寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が太宰治の墓で、カメラ南東方向に森林太郎(鴎外)の墓があります。