マーカーは美術の森緑地です。
美術の森緑地
[市内の南部を東西にのびる崖は武蔵野台地を古多摩川が削ったなごりで、「はけ」と呼ばれる崖のところどころから湧き水が流れ、美術館に入らなくても自由に散策可能。美術館前の「はけの小路」や併設の「美術の森」にある水源など、周辺では恵まれた自然を充分に満喫ができる。「はけの小路」の先をわずかに南下すると野川公園の一部に出る。 (wikipedia・はけの森美術館より)]
[はけの道を東に進むと、小金井二中の先に中村研一記念はけの森美術館(小金井市中町1-11-3)がある。武蔵小金井駅からは15分ほどで着く。美術館の東側に“美術の森緑地”の入口がある。東京の名湧水の一つでもある美術の森緑地の湧水の流れは、道路の下を潜って南に続いていて、水路沿いに径がある事を示す“はけの小路”の石標が、道路の向こう側に置かれているが、今回は割愛して美術の森緑地に入る。
美術の森緑地は美術館の東側から裏手にかけての緑地で、入園は無料、開園は昼間だけで、年末年始と月曜は閉園となる。美術の森緑地は国分寺崖線の斜面と湧水地からなり、武官であった小橋寿が明治42年に別荘地とした事に始まる。戦後は画家の中村研一がこの地に移住してアトリエを構える。門を入って間もなく左側に見えてくるのが旧中村研一邸である。
先に進むと小さな池があり、石舛からは水が湧き出ているように見える。この緑地の水源は竹林の中にあるそうだが、立ち入る事は出来ない。
竹林の中を上がると北側の門に出る。門の外側の“おお坂”を右に上がると連雀通りで、この通りを西に行き前原坂上の交差点を右に行けば武蔵小金井駅に出る。なお、美術の森緑地の東側は、岩村海軍中将が大正3年に別荘地とした場所で、1500坪の敷地内には池もあったという。その東側のムジナ坂沿いには、昭和23年に大岡昇平が寄寓していた富永邸があるが、富永邸自体は大正時代からあったようである。大岡昇平の「武蔵野夫人」は小金井から国分寺にかけての国分寺崖線が舞台になっているという。 (「滄浪泉園・三楽の森・美術の森 – 夢七雑録 – Gooブログ」より)]
美術の森緑地入り口前のストリートビュー・カメラ位置は「はけの道」で、カメラ北北東方向が美術の森緑地散策路で、カメラ南南東方向に「はけの小路」口があります。
美術の森緑地正門前のストリートビューです。
美術の森緑地湧水前のストリートビューで、カメラ南方向が旧中村研一邸になります。
はけに築かれた石段のストリートビューです。
美術の森緑地・はけの上道に面した裏口の木戸前のストリートビューです。