マーカーは虎狛神社です。
狛江郷佐須邨虎狛神社の碑
[拝殿前に建つ「狛江郷佐須邨虎狛神社之碑」には、当社の歴史が記されています。
文政11(1828)年、佐須の名主温井義邦が文章を、深大寺住職79世堯偏が筆をとり、氏子の人々が建てたものです。碑文は難解な漢文体ですが、古い神社であることを後世に伝えたいと記しています。碑裏には温井義邦と桑田重定の和歌が二首刻まれています。 (「虎狛神社の – 調布市」より)]
虎狛神社のクロマツ
[虎狛神社のクロマツ(こはくじんじゃのクロマツ)は、東京都調布市佐須町の虎狛神社境内に生育していたクロマツの巨木である。推定の樹齢は300年以上といわれ、『江戸名所図会』に取り上げられたほど古くから知られた木であった。東京都内で有数のクロマツの大木であり、1964年(昭和39年)に東京都の天然記念物に指定された。しかし、落雷や松くい虫の被害に遭って衰弱し1996年(平成8年)に枯死したため、1999年(平成11年)に天然記念物の指定を解除されている。しばしば「虎柏神社のクロマツ」とも表記される。
京王線を布田駅で下車して駅前から三鷹通りを歩き、佐須町交差点で左折してさらに少し歩くと、そこに小さな神社が鎮座している。この神社が虎狛神社で、文献には「崇峻天皇二年祭事有」と記載のある古い歴史を持つ。深大寺の開山満功の祖父母「右近」と「虎」を祀った神社で、「虎」の名と「柏野の里」と呼ばれていた当時の地名から「虎柏神社」の呼称もあると伝わる。
社殿の向かって左側の境内の外れにあたる窪地に近い部分に、かつてクロマツの巨木が生育していた。この木が虎狛神社のクロマツで、1993年(平成5年)の時点では樹高28メートル、幹囲4.45メートル、枝張り8メートルを測っていた。根元こそやや東方向に反ってはいるが、主幹は天を目指してまっすぐに伸び、枝張りは傘状に大きく広がっていた。
推定の樹齢は300年以上で、灰黒色を呈した樹皮の一部に大きな裂け目が一直線に入っていた。この木は『江戸名所図会』にも取り上げられていて、社殿の西側にも同様のマツが生育していたことを伝える記述もあった。この木は神木としてよく保存され、小枝の枯損が見られる程度で樹勢はきわめて盛んであった。
クロマツの大木として東京都内で有数のものであり、かつては都内の三巨松に数えられていた。1964年(昭和39年)4月28日には、東京都の天然記念物に指定された。この木を守るために、様々な手段がとられた。落雷の被害に遭って梢端部から根に至るまで一部の樹皮がはがれたため防腐剤を塗布したが、1986年(昭和61年)にはその部分にシロアリが大発生していたので防蟻処理を実施したり、鉄索で樹幹の傾きを直したりの対策をとった。しかし、松くい虫の被害に遭って1996年(平成8年)に枯死し、1999年(平成11年)3月3日に東京都の天然記念物指定が解除となった。 (wikipedia・虎狛神社のクロマツより)]
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虎狛神社資料リンク
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「青渭社虎狛社・右ページ」(9-24)、「虎狛神社解説・左ページ4行目から」(9-23)
青渭社虎狛社(拡大図)
[図会手前に青渭社、奥に虎狛社が描かれています。]
カメラ南南西方向が虎狛神社参道です。
虎狛神社拝殿前のカメラです。