マーカーは西窪稲荷神社です。
西窪稲荷神社
[ご利益は家内安全・夫婦和合
三鷹駅から北上し、五日市街道を左折してしばらく歩くと、右手に木造の両部鳥居が現れる。これが西窪稲荷神社である。写真右手に見える神楽殿には、武蔵野市の郷土資料に指定された三十五枚の絵馬がある。
嘉永五年(1852)ら大正末期にかけて、願主の祈願成就のために盛んに奉納されたものである。絵馬の図柄は明瞭で、家内安全や夫婦和合をあらわしたものが多く、庶民の神仏に対する祈願の内容がよくあらわれている。これらの絵馬は、所沢や調布に住む絵馬屋職人によって描かれたものと推定され、それらを願主が買い、氏名、奉納年月日を記して本神社に奉納されたものである。(一般には公開されていない)(武蔵野市教育委員会の案内板より) (「西窪稲荷神社」より)]
[西窪稲荷神社は、明暦の大火(1657)後の住民移転・新田開拓に伴い、西久保城山町の住民が当地へ移住、西久保村の鎮守社として遷座したといいます。明治初年村社に列格していました。
●新編武蔵風土記稿による西窪稲荷神社の由緒
(西久保村)稲荷社
村の西より源正寺とならびてあり。小祠、上屋六尺四方、拝殿三間に二間南に向ふ。神体は白幣にて本地佛の観音を置。木の立像にて長一尺許。前に鳥居をたつ。村内の鎮守。例祭二月初午九月朔日とさだむ。源正寺(※別当寺)の持なり。(新編武蔵風土記稿より) (「西窪稲荷神社|武蔵野市緑町の神社、旧西久保村鎮守 – 猫の足あと」より)]
「西窪稲荷神社(武蔵野市/緑町)の御朱印と見どころ – 神社と御朱印を巡る男の旅」
カメラ北方向が西窪稲荷神社参道です。
西窪稲荷神社境内のカメラです。