マーカーは読書の森公園です。
読書の森公園
[住所 〒167-0051 杉並区荻窪3丁目39番16号
開園年月日平成18年3月25日
面積1,841.06平方メートルその他
トイレなし
公園の概要
【公開時間】午前6時から午後8時
杉並区立中央図書館に隣接するこの公園は、図書館と一体となった公園という新しい考えで造られました。ここでは、図書館で借りた本を、東屋や小川のほとりで、またシンボルであるケヤキの木陰で読書を楽しむことができます。また、杉並ゆかりの作家や詩人のモニュメントや、アンネのバラも公園を飾ります。 (「施設案内 読書の森公園|杉並区公式ホームページ」より)]
[杉並区立中央図書館の隣接する敷地に「杉並区立 読書の森公園」(平成18年3月開園)が併設されている(中央図書館内からの出入は不可)。読書の森公園と中央図書館の間(読書の森公園内)に「ガンジー修養所再建トラスト」(本部:デリー)より杉並区へ寄贈されたマハトマ・ガンディー像(ブロンズ像)が設置されている。 (「杉並区立中央図書館」より)]
[園内には、「アンネのバラ」が植えられています。これは、アンネの父親であるオットー・フランクさんより高井戸中学校の生徒たちへ贈られたバラです。平和を願う『アンネの日記』に感銘を受けたベルギーの陶芸家が「アンネのバラ」を作り、オットー・フランクさんに贈りました。昭和50年(1975)に『アンネの日記』を学んだ高井戸中学校の生徒たちが感想文集をオットー・フランクさんへ贈りました。翌年、オットー・フランクさんから「アンネのバラ」が贈られました。高井戸中学校の生徒たちを中心に、多くの協力者により大切に育てられています。 (「読書の森公園:荻窪名所探訪|荻窪(杉並区JR中央線)エリアガイド荻窪 …」より)]
[荻窪駅西口から左へ。線路沿いに白山通りを三鷹方面に徒歩5分、環八通りガードと交差する。ここに、荻窪の地名と深いかかわりのある光明院がある。その由緒は、門を入って右手にある大きな石碑に刻まれている。
それによると、
「諸国を行脚していた行者が、観音様の仏像を厨子に背負って、この地にさしかかると、突如、観音様が大石のように重くなった。歩けなくなった行者は、これは、仏がこの地にとどまることを望まれたからに違いない、お告げだと、辺りに生えていた「荻」を刈り集めてきて「草堂」をつくり観音様を安置しお祀りした」とある。和銅元年(708)とあり、これをもって光明院の創建としている。
この観音様は大変に「ご利益」があるということで評判が評判を呼び、光明院は「荻窪の観音様」と呼ばれるようになり、近隣の村々の人たちもお参りしたいと言うようになった。行きたいが、そのお堂はどこにあるのかと聞くと、「荻の生えた窪地だ」という。それが、だれが言うとなく、いつしか「荻窪」の地名になったと伝承されている。
「荻窪の名を残したり荻の寺 襄」
荻は全国に分布する。しかし、荻窪の地名になった「荻」にこだわって荻窪の荻を大切に守って育てようという会ができた。「荻」保存会の誕生は、昭和40年だった。
その当時、群生して荻が残されたところといえば、善福寺川沿い南荻窪と千川上水沿いの二ヵ所しかなく、それも、間もなく宅地造成と道路整備で、荻は刈り取られるという。
会の仕事は、まず、この自生の「荻」を株分けして残し移植することだった。まず選んだのは荻窪駅。国鉄の協力で荻窪駅北側の線路際の小さな空き地に移植することができた。「荻」の立札をたててホームからも見え、かなり話題にもなった。更に広めようと、個人宅にもお願いするがなかなかなく、結局、杉並区の協力をえて、公園、学校に広めていった。
現在、自生の荻は、荻窪北口広場(荻の広場)、光明院、妙正寺池公園、読書の森公園、弁天池公園など、「荻」保存会によって株分け移植されたものや、善福寺川緑地公園、一部個人宅に残されたものだけで、群生の姿は無くなってしまった。 (「荻窪の地名になった「荻」の話 <荻窪の街の不思議1・荻窪の歴史的なぜ …」より)]
「読書の森公園 – Google Map 画像リンク」、「アンネのバラ – Google Map 画像リンク」
カメラ西方向が読書の森公園入口です。
カメラ東方向にオギが植えられています。
マハトマ・ガンディー像前のカメラです。