マーカーは貴船神社です。
貴船神社
[由緒
貴船神社は、社伝によると文永年間(1264年~1275年)ともいわれている。高龗神が祭神である。山城国(現:京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝わる。境内にあるの池は「御手洗の小池」と呼ばれ、村民の雨乞いの場所でもあり、どんな日照りでも涸れることなく湧き出ることから、当地の地名「和泉」の名の由来になったとも言われている。しかし、神田川の改修工事や付近の宅地化により、昭和40年以降は水が涸れてしまった。現在の社殿は昭和36年(1961年)に建てられたもの。例祭は5月5日である。
貴船神社・wikipedia-photo
(wikipedia・和泉熊野神社より)]
[当社は和泉熊野神社の境外末社です。『新編武蔵風土記稿』は江戸時代の当社の姿を「除地一段、村の北の方にあり、小祠を東向に立つ」と記しています。
創建は社伝では文永年間(1264~75)ともいわれますが、詳細は明らかではありません。
祭神は高●神(たかおかみのかみ)です。この神は山・谷あるいは川にすむ雨水をつかさどる竜神で、雨乞・止雨に霊力があるといわれています。当社はこの水を支配し豊饒を約束する神として信仰されていた、山城国(現京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝えられています。
境内の池は“御手洗の小池”と呼ばれ、かつてはいかなる干天にも涸渇することがなく、村民の雨乞を行う場所であり、その豊富な湧水から“和泉”の地名は、この池に由来するともいわれています。また水質もたいへん良かったようで『豊多摩郡神社誌』は「里人は往昔此井より清酒を湧出せしなど云伝ふ」との伝説を伝えています。この伝説は今日も語りつがれています。しかし、この湧水も神田川の改修工事や周辺の住宅化にともない、昭和40年頃以後は水が涸れてしましました。
当社は大正時代においても「木造萱葺、間口4尺、奥行3尺」という小祠にすぎませんでしたが、古くから和泉地域の人々の厚い信仰に支えられて今日に至っています。
なお、現在の神明造りの本殿は昭和36年の造営で、落成を記念した石碑も建てられています。
祭礼は5月5日です。
平成元年3月 (「117 貴船神社 【神社】(和泉3丁目22番22号)|杉並区公式ホームページ」より)]
「和泉貴船神社|杉並区和泉の神社 – 猫の足あと」、「貴船神社 – Monumento(モニュメント)」
カメラ西方向が貴船神社参道で、参道右に案内板があります。