マーカーは黒門鳥居です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
道しるべ・黒門鳥居
[井之頭弁財天への参道入口に、「神田御上水源・井の頭弁財天」「是より社まで一丁半」と刻まれた高さ2.4メートルの道しるべの標石がある。延享2(1745)年建立。台石には、芸能の守護神・弁財天を信仰した当時の江戸の劇場名や俳優の名が刻まれている。標石のとなりには「黒門」と呼ばれる鳥居に似た黒塗りの木の門があるが現在のものは、大正13(1924)年に再建されたもの。江戸時代から大正時代、この参道は大いに賑わっていたといわれている。 (「三鷹市 |市内の各スポット解説(井の頭エリア・牟礼エリア)」より)]
[三鷹市指定文化財 道しるべ
種別 重宝
年代 延享2年(1745)・天明4年(1784)改建
指定年月日 昭和53年(1978)5月8日
所在地 三鷹市井の頭4-21-1
井の頭池の水の恵みを受けた江戸町民の厚い信仰によって弁天信仰は盛んとなり、参詣人の絶えることがなかった。そのため石の道標が各所に建てられた。江戸の人々はそれを頼りに甲州街道から高井戸、久我山を通って井の頭弁財天に参詣した。この道しるべは、神田上水配水区域の人々の寄進による。台石には芝居、浄瑠璃等の関係者の名前も刻まれており、当時の演劇界の華やかさがうかがえる。
平成5年(1993)10月31日
三鷹市教育委員会 (「三鷹市指定文化財 道しるべ – Monumento(モニュメント)」より)]
「井之頭弁財天 道標 – Google Map 画像リンク」、「黒門(鳥居) – Google Map 画像リンク」
カメラ北方向が黒門鳥居で、黒門左に大黒天祠と高さ2.4メートルの道しるべがあります。
「神田御上水源・井の頭弁財天」道標