マーカーは道供養塔・地蔵です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で中山谷の上の三差路に道供養塔・地蔵が設置されているようです。
道供養塔・地蔵
[道供養之塔
東京都三鷹市牟礼3-8(牟礼二丁目交差点)
牟礼の里公園に近い交差点の角に交通安全のお地蔵さんが立っている。もとは行き倒れになった僧侶を弔うために建てられたものらしいが、詳細はわかっていない。その隣に道供養之塔が建っている。
甲州街道笹塚交差点近くにも、文化三年(1806)に建てられた道供養塔がある。こちらの銘は「文化九壬申年六月吉祥」(1812)だ。道供養碑自体、ほかではあまり見ないものなので、もしかしたらお互いに何かのつながりがあるのかもしれない。
以前は、ここに巳待講の石燈籠も並んで建っていた。三鷹市教育センターのHP(※)に掲載されている古い写真には、広い道に数名の徒歩と自転車の人が行くのんびりとした景色が写っているが、車が通るようになって大きな灯籠は邪魔になったようだ。今は、ここから玉川上水の方へ行く途中にある牟礼神明社に移されている。
残されたお地蔵さんと道供養塔は、歩道のない、信号待ちをする人も立ち止まれないほどの狭い辻に立って窮屈そうだ。それでも、交通安全を守る使命を背負ってここにとどまり、日夜がんばっている。
※ 三鷹市教育センターのHPは、いつの間にか閉鎖されてしまったようです (「886.道供養之塔 – 武蔵野・多摩 MTB散歩」より)]
カメラ西方向に道供養塔・地蔵があります。