マーカーは道場寺です。
道場寺
[曹洞宗寺院の道場寺は、豊島山無量院と号し、文中元年(北朝応安5年、1372年)、当時の石神井城主豊島景村の養子豊島輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて創建されました。武蔵野三十三観音霊場2番です。
『練馬区教育委員会掲示による道場寺の縁起
道場寺は、豊島山といい曹洞宗の寺です。
この寺は、文中元年(北朝応安5年、1372年)、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて建てたもので、その時、輝時は自分の土地を寺に寄附して、豊島氏代々の菩提寺としたと伝えられています。今でも豊島氏の菩提が弔われ、境内には文明9年(1477)太田道灌に滅ぼされた豊島氏最後の城主豊島泰経や一族の墓と伝えられる石塔3基があります。道場寺には、北条氏康印判状が所蔵されています。この古文書は、永禄5年(1562)4月21日、小田原の北条氏康(1515-71)から禅居庵にあてて発給した虎の朱印状です。内容は、道場寺分の段銭、懸銭などの税金を免除するもので、練馬区内では、現在のところ練馬区に関係する唯一の後北条氏の文書です。境内の三重塔(昭和48年建築)内には、人間国宝であった香取正彦作の金銅薬師如来像が置かれ、その台座にはスリランカより拝受の仏舎利が奉安されています。(練馬区教育委員会掲示より)』 (「猫のあしあと – 道場寺」より)]
文応元年の弥陀板碑(みだいたび)〈非公開〉
[縁泥片岩製(りょくでいへんがんせい)で高さ81センチメートル、幅25センチメートル、上部が欠損した板碑です。上部中央に阿弥陀如来を意味する梵字「キリーク」が刻まれ、その下に「文応元年(1260)十一月日」と陰刻されています。現存する板碑の中では古い部類に属し、区内で出土した板碑のなかで最古のもので、学術的な価値があります。画像リンク
平成3年度区登録 (練馬区ホームページ – 文応元年の弥陀板碑 (ぶんおうがんねんのみだいたび)」より)]
「道場寺 – Google Map 画像リンク」、「道場寺 鐘楼堂 – Google Map 画像リンク」、「道場寺三重塔 – Google Map 画像リンク」、「ねりまの名木 道場寺のクロマツ – Google Map 画像リンク」
道場寺総門前のカメラです。
道場寺山門内、三重塔前のカメラです。
道場寺本堂前のカメラです。