マーカーは野崎八幡社です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で「野崎」の下に描かれる鳥居が野崎八幡社になります。
野崎八幡社
[野崎八幡社は、当地を所有していた池上院が元禄2年(1689)に創建、野崎村が創設された元禄8年には村鎮守となり、明治4年村社に列格したといいます。
●境内掲示による野崎八幡社の由緒
創建元禄二年(西暦一六八九年)
野崎村の創設(元禄八年)の六年前、この社地は開拓者から調布市にある深大寺の末院池上院に寄進され、同院が八幡社を勧請した。
現在の社殿は大正十五年に再建。(境内掲示より)
●境内掲示による境内薬師殿について
「薬師如来」は「薬師瑠璃光如来」とも称し、西方極楽浄土の主尊「阿弥陀如来」に対し、東方瑠璃光浄土の主尊として、衆生を病苦から救う仏である。
言い伝えによると、野崎に薬師様が勧請されたのは江戸時代の末期(文久三年1863以前)に、愛知県の蓬莱寺(真言宗)の尼僧「梅風尼」によりもたらされたといわれる。その時以来、毎年十月八日の夜九時に「だんごまき」の行事が一年も欠かすことなく今日まで続けられている。
当夜まかれる「だんご」は「薬師だんご」と称し、病気、特に眼病を治すに霊験あらたかであると言われ、「だんごまき」の夜は遠方から参詣に来られる人も多く、大いに賑わう。(境内掲示より)
●新編武蔵風土記稿による野崎八幡社の由緒
(野崎村)八幡社
除地、一段二畝、村の東よりにあり、わづかなる社、上屋二間に三間西向、村持、この社の南に除地二段九歩あり、二間半に三間の寮を建つ、その廻りは村民の墓所なり。(新編武蔵風土記稿より)
●「三鷹市史」による野崎八幡社の由緒
祭神、応神天皇。祭礼日9月15日。野崎地区の鎮守。享保年間(1716-36)の勧請という。(吉野家文書には元禄9年とある)。明治4年(1871)村社となる。
地元では野崎八幡の名で呼ばれている。(「三鷹市史」より) (「野崎八幡社|三鷹市野崎の神社 – 猫の足あと」より)]
「野崎八幡社 – Google Map 画像リンク」、「薬師殿 – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向が野崎八幡社鳥居です。