マーカーは金井原古戦場の碑です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
金井原古戦場の碑
[南北朝時代の正平7年(1352)、南朝方の新田義貞(にったよしさだ)の子義宗(よしむね)・善興(よしおき)等が宗尊親王(むねよししんのう)を奉じて上野(こうずけ・現群馬県)に挙兵、武蔵野を舞台に北朝の足利尊氏(あしかがたかうじ)と戦った。世にいう武蔵野合戦である。同年閏2月20日、20万騎に及ぶ大軍勢が人見原(府中市若松町)から金井原にかけて戦いを繰り広げ、足利軍は石浜(台東区)へ敗走した。なお、牛浜(福生市)へ逃れたという説もある。
昭和11年3月4日に都史跡(昭和30年旧跡に変更)に指定されている。昭和34年に霊園通りと小金井街道の交差点に「史跡金井原古戦場」碑が建立された。 (「小金井の指定文化財(国・都指定文化財等):小金井市公式WEBへようこそ」より)]
カメラ南方向が金井原古戦場の碑です。
金井原古戦場の碑(Google Map 画像)
金井原古戦場の碑案内板(Google Map 画像)