金蔵院

マーカーは金蔵院です。

金蔵院
[金蔵院の創建年代は不詳ですが、阿闍梨堯存(永禄9年1566寂)が中興、天満宮(現小金井神社)の別当を務めていたといいます。
●「小金井市史」による金蔵院の縁起
金蔵院
(所在地)中町4-13-25。新義真言宗豊山派十一面観音本尊とする。本堂は正面・側面ともに 9.1m。庫裡は正面 25.48m、側面 9.1m。明和 7年(1770)火災にあい、多くの文書その他を焼失した。幸い過去帳だけは類焼をまぬがれた。その過去帳には慶長年間以降の詳細な記載がある。寺宝に中世以前と思われる仏体及び兆殿司作と伝えられる仏画がある。
新編武蔵風土記稿』に「金蔵院境内除地三石三斗八升。下山谷にあり。天神山観音寺と号す。新義真言宗府中妙光院の末。本堂は昔年焼失していまだ再建せず。本尊十一面観音、木の坐像長一尺許。開山詳かならず。中興は阿闍梨堯存、永禄九年八月一日遷化」と記載しである。(「小金井市史」より)
●新編武蔵風土記稿による金蔵院の縁起
(下小金井村)金蔵院
境内除地、三石三斗八升。下山野にあり。天神山観音寺と号す。新義真言宗、府中妙光院の末。本堂昔年焼失していまだ再建せず。本尊十一面観音、木の坐像長一尺余。開山詳ならず。中興は阿闍梨堯存永禄九年八月一日遷化。
稲荷社。小祠、境内にあり。(新編武蔵風土記稿より)  (「金蔵院|小金井市中町にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]

[西念寺の南側にあるのが、幕末の大侠客・小金井小次郎の墓地。鴨下家と関家の墓所でもある。小金井小次郎は関東一円に3000人の子分を抱えていたと伝えられ、幕末維新の頃に武州小金井の大親分として知られた人物。小金井村の名主・関勘右衛門も息子であるという。生涯で2度にわたり島送りとなっているが、三宅島では井戸造りなど島の発展に尽力した。これが縁で、1978年より小金井市と三宅島は友好都市となっている。また、墓の近くにある桜は「小次郎桜」と呼ばれている。  (「小金井小次郎の墓地(国分寺・国立/名所・観光地等)の施設情報 | いつも 」より)]

[寛文六年庚申塔
鴨下・関両家墓地の入り口にあり、寛文6(1666)年10月の造立である。本尊が地蔵であり、紀年銘が残っていることは珍しい。
 高さが108cmあり、地蔵像と三猿(さんえん)の左右には、30人ほどの造立した小金井村の講中(こうちゅう)の人名が刻まれている。  (「小金井の指定文化財 – 小金井市」より)]

「各地の庚申塔(小金井市-9) ( 歴史 ) – TATSU**のブログ(東京都+川崎市 …」

金蔵院 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が金蔵院山門です。

金蔵院境内のカメラです。

カメラ北西方向が金蔵院本堂です

カメラ北北東方向が金蔵院墓地で墓地内に寛文六年庚申塔があります。また、カメラ北北西方向背の高い石柱は小金井小次郎の墓です。(Google Maps)