マーカーは長久保道跡碑です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
関連リンク – 土支田地蔵尊、長久保道の碑、別荘橋地蔵尊・庚申塔
長久保道跡碑
[長久保道
長久保道は、清戸道の旧宮田橋付近(https://goo.gl/maps/QrhYVeCnaHU2・Google Maps)で北に別れ、富士街道(Google Maps)を横切って、光が丘の南西の隅を北西へ直進(現在は道がない)、高松五ー九(Google Maps)の北側を通つて笹目通りを横断、土支田地蔵尊(https://goo.gl/maps/fqhxMVdKGqJ2・Google Maps)を左に見て、土支田通りを横切り、白子川の別荘橋(https://goo.gl/maps/RjnEWdAGfjE2・Google Maps)を経て、そのまま北西へ進み、膝折(朝霞市)で川越街道と合流(Google Maps)します。
長久保は旧新倉村の字名ですが、明治二十四年大泉村と合併し東京府に編入されました。現在の大泉学園町七~九丁目付近(Google Maps・Google Maps・Google Maps)です。いつ頃から長久保道と呼ばれるようになったかは明かではありませんが、『武蔵国新座郡村誌』(明治八年)橋戸村の項に「北の方下新倉村界より来り下土支田村に入る。尤もさせる路にあらざれば・・・・・・」とあるのはこの道のことです。
清戸道沿いの村々の名が刻まれている宮田橋敷石供養塔(区登録文化財)が高松二ー三のバス通り沿いに建っています。この石塔は、元はこの道の起点となる宮田橋に建てられていたものです。
平成十二年三月
練馬教育委員会 (「長久保道跡碑 (東京都練馬区高松 史跡) – グルコミ – rubese.net - 画像より)]
「長久保道跡碑 – Google Map 画像リンク」、「練馬大根漬物用大樽(とうご) – Google Map 画像リンク」
カメラ北東方向に長久保道跡碑と案内板があります。
長久保道跡碑案内板(Google Map 画像)
旧長久保道を「今昔マップ」を参考にルート設定をしてみました。