マーカーは鞍掛けの松です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
鞍掛けの松
[鞍掛けの松(くらかけのまつ)は、東京都杉並区大宮の大宮八幡宮の参道に面している松の木である。平安時代の武将・源義家が、「奥州遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けた」という伝承に由来するが、現在の松の木は代替りしたものである。
鞍掛けの松・wikipedia-photo (wikipedia・鞍掛けの松より)]
[この前の道は、大宮八幡宮の参道です。
参道に面して、「鞍掛けの松」があります。
この松の名称は、平安時代の武将・源義家(1039~1106)が、奥州遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けた、という伝承に由来します。この伝承は、『江戸名所図会』(江戸時代の地誌)にも紹介されています。
松そのものは代替りしていますが、こうした伝承が地元に長く語り伝えられてきたことは、この地の歴史の古さを物語るものといえます。 (「150 鞍掛けの松 【その他】(大宮1丁目2番11号)|杉並区公式ホームページ」より)]
[商店街を北に抜けると方南通りにあたる。大宮八幡入口交差点。交差点を渡り、方南通りの一筋北に通る、大宮八幡への参道を進む。ここは昔の鎌倉街道。『武蔵名所図会』に記述がある;「大宮八幡宮の大門路は往古の鎌倉より奥州街道なり。東へ廿町余行きて、中野街道へ出て、それより追分を北に行けば板橋宿 に行く」、と。
参道を進む。道脇に鞍懸の松(和田の曲松)。 (「杉並区散歩そのⅡ:永福から善福寺川に沿って荻窪へ – 時空散歩」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「大宮八幡宮鞍掛松」(11-32)
大宮八幡宮鞍掛松(拡大図)
[鞍掛松(くらかけまつ)は大宮八幡宮の馬場先(ばばさき)の大路(たいろ)民家構(みんかかまえ)の外にあり、鬱蒼(うっそう)として繁茂(はんも)せり。根より一丈ばかり上に至りて屈曲(くっきょく)せる故に、土人和田の曲り松(わだのまがりまつ)と称し、或は鞍掛松(くらかけまつ)とも呼(よ)べり。相伝(そうでん)に八幡太郎義家(よしいえ)朝臣(あそん)奥州の逆徒(げきと)征伐(せいばつ)の頃、此松枝(まつえだ)に鞍(くら)をかけられしよりしかいうと。又、此所より二三町東道(ひがしみち)の傍(かたわら)に古松(こしょう)一株(いっちゅう)あり。土人一本松(いっぽんまつ)と唱(とな)う。昔、八幡宮の一の鳥居ありし旧地なりという (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之四 第十一冊」より)]
カメラ南西方向が鞍掛けの松です。