マーカーは馬橋のおんだしです。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
馬橋のおんだし
[地名にはそれぞれ歴史があり意味合いがあります。ここに掲げた「おんだし」など、どの地図見ても書かれていません。地図に書かざる地名、つまり地域の人にしかわからないと思われます。
ではこの「おんだし」とはどこでしょう。つまり五日市街道が青梅街道に合流する。深沢ビルのところです。「おんだし」とは「押し出しの」の意味なのです。
江戸時代五日市街道は、この奥地に大宮前新田をはじめ関前、小平など多くの新田が開発されました。そのためこの地の農作物など江戸へ運搬する道路として整備されました。
だが運ぶ為には大変な労力が必要でお百姓の家族など手伝って青梅街道まで運び押し出したところなのです。五日市街道も江戸時代、明治、大正の頃まで道も狭く、ことに善福寺川の尾崎橋辺りは七曲りといわれ、道の曲りが多く物を運ぶ人々は大変難儀したということです。
しかし杉並にはまだこんな「おんだし」と呼ばれる処はこの他三ケ所ありました。それは成田東四丁目の田端おんだし、上荻一丁目タウンセブンの西側にあった観音おんだし、それに上荻四丁目の保久屋おんだしなどがあります。
それでこの梅里一丁目二丁目境の地を「馬橋のおんだし」とこの地域の人々は呼んでいたものです。 (「あんなとこ、こんなところ 地域の身近な 歴史スポット⑨」より)]
カメラ南方向が「馬橋のおんだし」です。