馬頭観音道標(北町1丁目)

マーカーは馬頭観音道標です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、地図中央の交差路に黒く描かれているのが馬頭観音道標(北町1丁目)だと思います。

馬頭観音道標
[三叉路のど真ん中に祀られた馬頭観音。この辺りが下練馬宿の入口だった。現在の練馬区板橋区のちょうど区境でもある。いっとき、車に屋根を壊されるなど被害もあったが、今でも近隣の住民に大切にされており、赤い旗がはためいている。  (「練馬区北町旧跡研究会 – 江戸時代 – 1丁目の馬頭観音」より)]

[道路の交差点の真ん中に1坪ほどの堂宇があり、堂宇より右が板橋区で左が練馬区になる。堂宇の中には2基の馬頭観音が祀られている。堂宇内の馬頭観音はどちらもかなり摩滅していて左側に至ってはほどんど原形が分からない。資料によると、左の角柱型馬頭観音には「右 いたばし道」「左 戸田道」と側面に書かれているようだ。右の馬頭観音の方は左に比べればかなり像形が残る。造立年は文化12年(1815)で、これは堂宇の表にも記されている。正面には「武蔵国」、右面には「右 王子道 願主 内田氏」、左面には「左 戸田渡みち」と書かれている。  (「三叉の馬頭観音(板橋区上板橋/練馬区北町) – ぼのぼのぶろぐ」より。)]

三叉の馬頭観音 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が馬頭観音道標です。

馬頭観音道標(北町1丁目)(Google Map 画像)

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