齋田記念館

マーカーは齋田記念館です。

齋田記念館は、2018年12月23日(日)~2019年3月31日(日)まで、冬季休館中。

齋田記念館
[齋田家は、木曽義仲の老臣の中原兼遠が遠祖と伝えられ、中世には世田谷城主・吉良氏の家臣となり、天正18年(1590)、吉良氏没落後にこの地に土着・帰農し、代田村開発の中心となった「代田七人衆」と呼ばれる旧家の一つです。江戸時代中期以降、開墾によって土地の所有が進んだこともあり、文政8年(1825)、八代平吉の時に、代田村の年寄役から名主となり、以後幕末までこの役を世襲しました。
齋田家では、幕末、十代平太郎(1821-1875) が関西を視察し、生糸と並ぶ主要な輸出品であった茶の商品価値に注目し、私有の山林を開墾して茶の栽培を始め、また村民にも茶の栽培を勧めました。明治3年(1870)には伊勢から製茶師を招き、本格的に製茶を開始しましたが、明治8年(1875)、平太郎は志半ばで病没。その後、十一代又一郎(1858-1907)が父の後を継ぎ、熱心に製茶法を学んで技術改良に取り組み、齋田茶は内国勧業博覧会万国博覧会で入賞するなど高い評価を受け、輸出も行いました。
このように、齋田家は茶との関わりが深く、茶に関わる資料が多く残されていることから、これらの保存・公開、調査研究および研究助成等を行うことにより、わが国の茶文化の振興に寄与することを願い、平成6年(1994)、齋田茶文化振興財団が設立されました。
 また、平成9年(1997)、財団の展示施設として齋田記念館が開館しました。
この齋田記念館の奥に、約千五百坪の敷地に約百五十坪の建物を有する齋田家があります。その建物は、昭和2年(1927)の震災復興計画によって環状七号線の敷設が決まり、敷地の東側を貫通するため、明治末期に焼失した旧宅の再建計画が立てられ、昭和6年(1931)3月に着工、同9年(1934)3月に落成したものです。当時においては最良の建築資材と技術を用いており、近代の数寄屋造りとして建築学的にも貴重なことから、平成8年(1996)に世田谷区の有形文化財に指定されました。
ご利用案内
開館時間 午前10時~午後4時30分(入館は4時まで)
休館日  土曜(第四土曜日を除く)、日曜、祝日、展示替期間
アクセス 電車/小田急線・世田谷代田駅より徒歩7分
        小田急線・梅ケ丘駅より徒歩10分
        東急世田谷線・若林駅より徒歩10分
     バス/渋谷駅西口4番乗り場より小田急バス
        経堂駅行(渋54)宮前橋下車徒歩2分
     ※当館には駐車場がございません。  (「齋田記念館について」より)]

カメラ北西方向が齋田記念館進入路です。