世田谷城跡(世田谷城阯公園)

マーカーは世田谷城阯公園です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。

世田谷城跡(世田谷城阯公園)
[世田谷城(せたがやじょう)は東京都世田谷区豪徳寺にあった城。世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城。世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
歴史・沿革
貞治5年(1366年)、吉良治家が世田谷郷を与えられる。
応永年間(1394年-1426年)頃、居館として整備されたと考えられている。
●吉良成高の頃、城郭として修築されたものと考えられている。
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原征伐により豊臣氏勢に接収されたが、同戦役後廃止された。江戸城改修に石材を利用したという。
構造
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していた。開発が進み旧態は詳らかでないが、豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられている。世田谷城址公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存する。世田谷城址公園内の遺構に関しては公園整備時に手が加えられているが、豪徳寺住宅脇の遺構は良く旧態を留めている。  (wikipedia・世田谷城より)]

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「古城山」が世田谷城跡です。)

世田谷城跡 – Google Map 画像リンク」、「世田谷城阯公園 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が世田谷城跡(世田谷城阯公園)です。

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