マーカーは代田八幡神社です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央上・「代田」上、北澤川上に八幡と描かれています。)
代田八幡神社
[代田八幡神社は、天正19年(1591)に代田村の鎮守として創建したといいます。
●新編武蔵風土記稿による代田八幡神社の由緒
(下北沢村)八幡社
社地三段、免畑一段一畝十五歩、小名本村の内高札場より耕地を隔て北の方にあり、本社は小山の上にたてり、宮作りにて横四尺に長さ六尺八寸覆屋は二間四方、鎮座の年代詳ならず、元文年中の棟札あり、是は今の社を修造せし年代なるべし、此社の内に奇石あり、其状雷槌の如くにして青石なり、長さ四尺二寸餘径太き所にて四寸、周一尺三寸五分、細き所一寸三分、これは昔より此ほとりの百姓が宅地の内に在しを、近き頃此社へ納めしと云。
末社。
春日社、本社に向ひて右の方にあり。
神明社、夷子社、大黒社、以上春日祠の右にあり。
辨天天神合社。是は本社に向て左にあり。(新編武蔵風土記稿より)
●せたがや社寺と史跡による代田八幡神社の由緒
八幡神社(代田八幡) 代田3-57-1
祭神仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、「新編試蔵風土記稿」に「鎮坐、年代詳ナラズ、元文年中(1736〜1741)ノ棟札アリ、是ハ今ノ社ヲ修造セシ年代ナルベジ」と記す如く由緒については明らかでない。別当円乗院が享保年間(1716~1736)に炎上したためであろう。代田村の鎮守であったが、明治年間大原町などが分かれた。神宝として石棒を蔵する。風土記稿に云う。「此社ノ内ニ奇石アリ、ソノ状雷槌ノ如クニシテ青石ナリ。長サ四尺ニ寸余円径太キ所ニテ四寸周一尺三寸五分、コレノハ管ヨリ此ホトリノ百姓ガ宅地ノ内ニアリシヲ、近キ頃此社へ納メシト去」社殿は戦災により炎上、現在のものは戦後の再建である。天明5年(1785)銘の石の鳥居が建つ。祭礼は9月19日20日であったが、現在は9月の第3土曜日曜に行主われる。(せたがや社寺と史跡より) (「代田八幡神社|世田谷区代田の神社 – 猫の足あと」より)]
「世田谷の秋祭り File.16 代田八幡神社例大祭 – 世田谷散策記」
カメラ北東方向が代田八幡神社参道です。
代田八幡神社拝殿前のカメラです。