マーカーは大山道旅人の像です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年で見ると、武蔵野村記述左上の千川上水と道路交差点に石橋供養塔があります。
「大山道マップ(A3版) (PDF形式 2,966キロバイト)」
八幡社と大山道旅人の像
[この旅人像は昭和60年3月、世田谷区が大山道児童遊園を開設した時に作られたものです。この場所は南に蛇崩川(じゃくずれがわ)の源流が流れていた窪地で北側には八幡社が祀られていました。
往時の八幡社は明治時代の末、弦巻神社に合祀され、今はその跡地に小祠が残っています。 (「解説3【上町 (旧道) 用賀】 (PDF形式 1,513キロバイト)」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切左上・「弦巻」左に八幡社と八幡橋、その左側に蛇崩川の水源が描かれています。)
「大山詣の像 – Google Map 画像リンク」、「蛇崩川洗い場跡 – Google Map 画像リンク」、「八幡神社 – Google Map 画像リンク」
カメラ東南東方向に八幡社と大山道旅人の像があります。カメラ東北東方向・樹林地に祠があります。
大山道旅人の像(Google Map 画像)
カメラ北方向が八幡社跡地に建つ祠です。
八幡社跡地に建つ祠(Google Map 画像)