八雲氷川神社

マーカーは八雲氷川神社です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右下・「衾」上方向に氷川と描かれています。)

東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「最新交通指導地図荏原郡碑衾町」[地図左グリーンのエリア中央・28番が八雲氷川神社です。改修前の二子道(目黒道)が描かれています。]

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図に常圓寺、東光寺、氷川神社、金剛院や改修前の二子道(目黒道)が描かれています。

八雲氷川神社
[氷川神社(やくもひかわじんじゃ)は東京都目黒区八雲にある神社。旧武蔵国荏原郡衾村、現在の目黒区八雲・東が丘・柿の木坂・自由が丘・緑が丘・平町・大岡山に当たる地域の鎮守。所在地八雲の地名もこの神社に由来している。
創建年代は不明である。衾村で代々名主を務めた栗山家に伝わる安政2年(1855年)6月の『宝暦歳代記』に宝暦7年(1757年)7月鳥居建立の記事が残ることから、少なくともこれ以前である。同家所蔵の宝暦12年(1762年)の村絵図にも記載がある。文化文政期成立の『新編武蔵風土記稿』には「草創の年歴詳ならず。されど境内のさまを見るに、年ふる松樹、その余諸木繁茂して、いかにも旧き社地と見えたり。」とある。大正時代には毎晩12時頃から明け方3時頃にかけてこの木から呻き声が聞こえると話題になり、氷川様の呻り樫と呼ばれた。
●社殿 – 安政4年(1857年)11月15日改修。
●拝殿 – 文化14年(1817年)9月19日改修。当初藁葺だったが、戦後になり雨漏りが酷く、銅板葺で凌いでいたが、昭和51年(1976年)江中建設により全面的に改修、9月18日に落成式を行った。
●摂社後宮 – 創建年代は不明。足名槌命・手名槌命・倉稲魂命を祀る。昭和57年(1982年)4月9日放火により焼失、同年再建された。
●赤樫 – 皮を煎じて飲むと癪封じに効があると伝えられ、参拝者により皮が剥がされた結果、現在根本のみ残存している。
鳥居・wikipedia-photo

  (wikipedia・八雲氷川神社より)]

八雲氷川神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が八雲氷川神社参道です。

カメラ北方向が八雲氷川神社拝殿です。