マーカーは円乗院です。
円乗院
[円乗院の創建年代は不詳ですが、寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建、寛永2年(1625)までには創建していたといいます。
■せたがや社寺と史跡による代永山円乗院の縁起
円乗院 代田2-17-3
代永山真勝寺円乗院と号し真言宗で勝国寺の末寺であった。「新編武蔵風土記稿」には円成院境内除地1町6段11畝余と記載され「村民古クヨリモテルト云記録アリ、ソレモ寛永二年(1625)以来ノコトヲ載タレド、ソレヨリ上ノコトノ、シルサズ、菅村民七人円成院ト共ニ小名本屋舗ノ地ニアリテ耕作ヲ勤ムト云々、サレバ此村草創ノ比ヨリノ寺ナルベシ」とあり、いわゆる代田7人衆などにより寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建維持されてきた、百姓持ちの寺と思われる。享保年間(1716~1736)に炎上再建されたが、昭和20年の空襲により再度回禄の災にかかる。現本堂は昭和29年移建されたものであるが、その前身は台東区橋場総泉寺(現板橋区総泉寺・秋田佐竹侯菩提寺)の旧本堂であった。狩野探信筆の襖絵(文政8年)などがあり、江戸後期の建築物であろう。風土記稿にみえる観音堂は戦災時まで存していたが惜しくも炎上した。本尊不動明王は享保炎上後同18年(733)12月再造されたもの、門前に斉田東野筆弘法大師1000年遠忌の大石碑がある。並立する庚申塔2基は区立守山小学校敷地から移したものである。1月15日境内で三土代会主催で代田餅搗や曲搗保存のための餅搗会が行なわれている。世田谷区内で数少い弥生時代遺跡である円乗院遺跡は同院裏手のほぼ南面する丘陵端で発見され、昭和3年調査されたときには竪穴住居3が確認され多数の弥生後期の土器が出土した。都市化の進行により遺跡は湮滅に帰したが、土器類は世田谷区立郷土資料館に展示されている。(せたがや社寺と史跡より) (「円乗院|世田谷区代田にある真言宗豊山派寺院 – 猫の足あと」より)]
「世田谷散策プラス No.7、代田の円乗院と蓮 – 世田谷散策記」
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央上方向・「代田」上に圓乗院が描かれています。)
カメラ北北東方向が円乗院参道です。
円乗院参道のストリートビューです。
円乗院本堂前のストリートビューです。