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円光院
[円光院(えんこういん)は、東京都世田谷区世田谷にある真言宗豊山派の寺院。詳名は大悲山明王寺円光院。
歴史
大悲山明王寺円光院はボロ市通りの入口に位置し、地元の人々から「円光院さん」との呼び名で親しまれている。起源については、16世紀後半の天正年間に円光坊盛尊が開基したとの記録と、開山、開基とも不詳であるとの記録がある。
寺院となる以前、円光院付近は吉良氏の領地であった。吉良氏の領地であった時期、後に円光院となる場所には世田谷城の外郭施設のひとつとして、櫓が建てられていたと言われている。
新編武蔵風土記稿によれば、荏原郡世田谷村の円光院は同じく世田谷村の勝光院の末寺であり、大悲山明王寺と呼び本堂には不動明王を祀り、南向きに表門があり門を入って左側には閻魔堂があるとしている。
円光院の建物はしばしば強風で倒壊したと伝えられており、天保年間には蜜三和尚が本堂を修理したと伝えられている。明治時代に入り、1879年(明治12年)の教育令の施行後に開設が決定された世田谷区立桜小学校は、円光院の本堂を修理の上、仮校舎として12月1日に開校した。桜小学校は翌1880年(明治13年)4月に本校舎が落成して移転するまで円光院本堂で授業が行われた。
しかし明治時代に入り円光院は衰微して、廃寺となってしまう見通しとなった。しかし檀家からの存続の願いもあり、1893年(明治26年)に再興された。その後1899年(明治32年)に信海大和尚が大改修を行った。
境内
敷地内には本堂、客殿、閻魔堂、地蔵堂、そして十一面観音堂が建てられているほか、墓苑、駐車場、休憩所、トイレが整備されている。
地蔵堂と閻魔堂は山門を入って左手にあり、それぞれ水子・子育て地蔵と閻魔十王像が安置されている。 本堂前には宗祖である弘法大師の像が立つ。十一面観音堂は永代供養墓であり100区画の納骨堂が設けられている。
また、門前には桜小学校発祥の地の石碑がある。
供養塔 – 1741年(元文6年)の供養塔。総高152センチメートル、塔身部114センチメートル。「奉納西国坂東秩父供養塔」の記載がある。
馬頭観音立像 – 年代不明。総高91センチメートル、塔身部64センチメートル。
山門・wikipedia-photo
本堂・wikipedia-photo
地蔵堂・wikipedia-photo、閻魔堂・wikipedia-photo、供養塔・wikipedia-photo、馬頭観音・wikipedia-photo、再興記念之碑・wikipedia-photo、桜小学校発祥之寺・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、円光院_(世田谷区)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・円光院_(世田谷区)より)]
「円光院|世田谷区世田谷にある真言宗豊山派寺院、玉川八十八ヶ所霊場 – 猫の足あと」
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央上方向・「世田谷」右上に円光院が描かれています。)
カメラ北方向が円光院参道です。