マーカーは円泉寺です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「太子堂」右に円泉寺が描かれています。)
円泉寺
[円泉寺(えんせんじ)は、東京都世田谷区太子堂3丁目にある真言宗豊山派寺院。圓泉寺とも表記される。聖徳太子を祀る堂(太子堂)があり、付近の地名はこの太子堂に因んでいる。
当寺院は、遅くとも南北朝時代の末期に太子堂と小堂が出来ていたものと推測されている。その後、文禄4年(1595年)になって賢恵によって中興がなされた。その後、江戸時代になると中野・宝仙寺の末寺になる。寛文12年には庚申供養塔が造立される。安政4年(1857年)に出火により本堂・太子堂などが焼失した。安政7年(1860年)に本堂などが再建。明治4年(1871年)付近の村の有志たちにより、世田谷区内では初となる学校であり、世田谷区内の近代教育のはしりとも言える太子堂郷学所が建立された。郷学所では四民平等の理念に基づき平等に教育を行い、世田谷の教育界において大きな影響を与えた宮野芟平(さんぺい)を教師として招いた。太子堂郷学所は一時期当寺院内に校舎が置かれた。その後、明治32年(1899年)に現本堂が完成。大正15年(1926年)に本堂の大改修が行われる。その後の第二次世界大戦の戦禍からは免れた。戦後は本堂の改修(1964年)、太子堂の改修(1951年、1969年)が行われ現在に至る。
参道入口・wikipedia-photo、円泉寺山門・wikipedia-photo (wikipedia・円泉寺_(世田谷区)より)]
カメラ北西方向が円泉寺山門です。
カメラ北北東方向に聖徳太子之碑があります。
円泉寺本堂前のカメラです。