「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1965~1968年、1975~1978年の地図に、「北沢川緑道北端(赤堤3丁目34番先)」 – 「東京都立松沢病院(将軍池公園)」の源流ルートが描かれ、現在地図と比較すると源流ルートが想定できます。
「東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「豊多摩郡高井戸町全図」
「豊多摩郡高井戸町全図」の地図下中央付近・高井戸町区域外に府立松澤病院(現東京都立松沢病院)から上流の玉川上水からの分水が描かれています。豊多摩郡高井戸町全図の中之橋の左方向・北澤分水右、中久保451番地に水車記号(三左衛門水車)が記されて、北澤分水の「境橋」と「富士見橋」が印字され、「境橋」の名は境橋歩道橋に残っています。
昭和22年の上北沢小学校周辺の航空写真
「https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.37.23.755N35.40.5.542/zoom/10/?data=showa-22:map」
北沢川
[北沢川(きたざわがわ)は、かつての目黒川の支流のひとつ。東京都世田谷区内を流れる二級河川であった。現在は全面的に暗渠化され、下水道に転用されている。
地理
本来の源頭地は東京都世田谷区上北沢、東京都立松沢病院付近。 これに、北方を流れる玉川上水からの分水を引き込んでいた。
病院付近から南東に向かい、小田急線経堂駅北方で東へ転流し、豪徳寺駅のすぐ北をかすめ、梅ヶ丘駅の東で線路をくぐる。さらに東南東へ流下し、環七通り、茶沢通り、淡島通りを越え、池尻大橋駅西方で烏山川と出会い、目黒川となる。
通過する地域は、上北沢、桜上水、赤堤/宮坂、豪徳寺、松原/梅丘、代田、代沢、池尻/三宿の各地域(いずれも世田谷区内。”/”は境界を流れるの意)。
支流
左岸(流路北側)にのみいくつかの支流があった。いずれも暗渠となっている。特に名前のついているものは以下の2つ。
●森厳寺川(しんがんじがわ) – 区立北沢中学校近辺から下北沢駅の東を通り、茶沢通りのルートを南下して、代沢小学校の端で北沢川に合流。
●だいだらぼっち川 – 森厳寺川の支流。下北沢駅西方を南流。源頭はもと大きな湧水窪地で、「ダイダラ坊の足跡」であるとされ、これが「代田」の名の由来にもなったという。
歴史と現況
元来は流量の少ない川だったが、1658年(万治元年)に玉川上水からの分水(北沢分水)を認められ、上水から水源地付近まで導水するようになった。以来、北沢用水として親しまれつつ、一帯の田畑を潤してきた。江戸時代の下北沢村開拓に密接に関係した歴史を持つ。
昭和に入る頃から周辺の都市化が始まり、多くの都市河川と同様、水質の悪化が徐々に進行した。1970年代から1980年代にかけてほぼ全域を暗渠化。現在は下水道(北沢幹線)として利用されている。
北沢川緑道
平成になると暗渠地上部の緑道化が進められてきた。現在では、北沢川暗渠のほとんど全部(桜上水5丁目付近から下流)が緑道として整備されている。
1995年(平成7年)、東京都の「城南三河川清流復活事業」により、落合水再生センターからの高度処理水が目黒川(北沢川の下流)に通水された。 これを受けた世田谷区は都に交渉、「水質を劣化させることなく目黒川へ水を落とすこと」「費用はすべて区が負担すること」などを条件に処理水の一部の融通を受け、この水を利用して翌1996年(平成8年)より、目黒川の上流部にあたる北沢・烏山両河川暗渠上の緑道に沿って人工の“せせらぎ”(小川)を造成する作業を進めてきているが、北沢川については既に全計画区間(環七通りを横切る「宮前橋」より下流)の完成を見ており、随所に見られる桜並木とともに、区民の憩いの場として親しまれるようになってきている。
せせらぎの計画水量は2,200m3。東京都との取り決めにより水質の劣化は許されないため、送られてきた高度処理水をさらに浄化した上で放流している。この水は、烏山川との合流地点以下では引き続き「目黒川緑道」を流れ、緑道の終了する池尻大橋地点近傍にて目黒川へと放流されている。
水辺には鯉、小魚、カモ類、ドブネズミなどが見られるほか、中流あたりにはザリガニが多く、子どもたちの格好の遊び相手となっている。
「春の北沢川l緑道、代沢三丁目付近。」・wikipedia-photo (wikipedia・北沢川_(東京都)より)]
北沢川緑道
[北沢川緑道は、上流は赤堤から下流の代田・代沢・池尻までの延長約4.3キロで、かん木や雑木類が植えられ、四季折々の花が咲く緑の遊歩道となっています。北沢川の水源は旧上北沢村あたり(松沢病院の構内)で、湧水を集めて赤堤、松原をとおり、池尻、池沢、三宿の三村境で烏山川と合流し、目黒川と名を変えます。
小田急線経堂駅付近から豪徳寺駅まで、距離にして500メートルくらいのレンガの舗道とユリの木並木は、計画時に住民の要望をとり入れてつくられました。素晴らしいのは春の新緑、秋の紅葉です。小田急線豪徳寺駅から下流へは幅も狭くなって、ツバキやクチナシ、ツツジ、アジサイなどの植込みが続きます。
環状七号線から淡島通りまでは、桜並木約150本が咲く桜の名所になっています。毎年、春には、まだ川だった昔から続いている桜まつりが行われ、多くの人でにぎわいます。
川の名残りは、橋の名前ぐらいでしょうか、鎌倉橋、二子橋、古事記橋、松竹橋、光明橋などがあります。
環状七号線から目黒川緑道合流点までの区間においては、平成6年度から住民参加で、せせらぎを復活した整備を進めてきました。
せせらぎの水源は、東京都下水道局落合水再生センター(下水処理場)で、水質を向上させて処理した再生水(高度処理水)を利用しています。その再生水が、地下を通って池尻北広場まで送られてきます。その水の一部を利用してせせらぎに送水しています。(せせらぎの水は飲めません。)大雨注意報が出ると、再生センターからの送水は停止となり、せせらぎの水も循環できなくなり、せせらぎの水位が下がることがあります。
近くには、約370年前に、結城中納言、秀康公の位牌所として建立された森厳寺があります。
所在地
東京都世田谷区三宿2丁目1番から赤堤3丁目34番先
延長
4,263メートル (「北沢川緑道 | 世田谷区」より)]
目黒川緑道
[「北沢川緑道」と「烏山川緑道」の2つの緑道が合流する地点から、遊歩道は「目黒川緑道」と名前が変わり、2つの緑道を流れる「せせらぎ」もここで合流し、「目黒川緑道」のせせらぎとして流下していきます。せせらぎの流れに沿って下流に歩くと、間もなく、緑道は目黒区に入り、せせらぎと共に目黒区の緑道に引き継がれていきます。国道246号線まで続く目黒区の区間は、平成21年3月に完成しました。
「北沢川緑道」から続く「せせらぎ」には、護岸に水生植物が育ち、昔、ここが川であった頃を偲ばせる水辺の環境が形作られています。
また、緑道には、樹木の他に数々の草花が植えられ、遊歩道を含め、地域の皆さんによる熱心な手入れが行われており、四季を感じさせる緑道として、ここを通る人々を和ませています。 (「目黒川緑道 | 世田谷区」より)]
だいだらぼっち川
[「下北澤通史」(昭和61年 佐藤敏夫)によると、
水源に近い蓮見氏(代田6-27・Google Maps)の証言として以下のような内容が書かれています。
・代田6-18(Google Maps)と6-16(Google Maps・このあたり縄文遺跡)の間は窪地でこのへんから水が染み出しているらしく云々・・・。
・守山小学校(代田6-21・Google Maps)の東側に細長い池があり、長さは十間くらい。子どもが始終そこで遊んでいた。
・戦後地主がそこを分譲するというので、馬車が石炭がらを運んできて周辺を埋めていた。
・代田6-27(Google Maps)と6-8(Google Maps)の間に幅二尺くらいの浅瀬が流れていた。川に沿って田や畠が続いていた。夕立などがあると川沿い一帯が水浸しになった。
代沢5-28(Google Maps)の燃料店主さんのお話として、
・代沢5-36(Google Maps)あたりは戦前、少年がなんとか飛び越せたくらいの幅、1.5m程度で平時の水深は30cmくらい。しかし岸から水面まではもっと深く、10段の木の階段下るほどの深さだった。階段の下は洗い場に使われていた。 (「暗渠ハンター 小田急線地下化で、だいだらぼっち川が新しくなる!?」より)]
「せたがや百景 No.7 北沢川緑道桜並木と代沢の桜祭り / 代 … – 世田谷散策記」、「2009年 6月20日 森厳寺川を歩く」