医王寺

マーカーは医王寺です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央・「深澤」上に医王寺が描かれています。)

医王寺
[医王寺(いおうじ)は、東京都世田谷区深沢六丁目にある真言宗智山派の寺院。ここでは医王寺と関係が深い深沢不動教会についても言及する。
創建は寛永年間と言われている。開基は谷岡又左衝門尉重久という人物である。世田谷区等々力にある満願寺の末寺と言われている。
宝暦11年(1761年)に火災により焼失したが、3年後に再興した。
明治11年(1878年)3月には医王寺境内に深沢村(当時)村民の為に、荏原第二分校(現在の世田谷区立深沢小学校)が開校した。人数が増えたため、翌年には村内の他の場所に移転したが、当寺院には「深沢小学校発祥の地」の碑が建てられている。
なお、境内にはかつては池が二つあったが、昭和7年(1932年)までに消滅した。
昭和20年(1945年)には戦災にあり本堂などが焼失。現在の本堂は昭和38年(1963年)に再建されたものである。
深沢不動教会
深沢不動教会(ふかさわふどうきょうかい・地図)は、医王寺に近接してある不動堂である。
明治時代になり、当時の深沢村で成田山信仰の機運が高まり、村内にも成田山の本尊を模した不動明王を祀ったお堂を建てようという動きが出た。
明治31年(1898年)に地元の秋山紋兵衛が発起人になり、村内の多くの人が協力して医王寺の境内仏堂として深沢不動堂が建立された。
戦後、昭和27年(1952年)に深沢不動教会として医王寺から独立。しかし、昭和45年(1970年)から医王寺の住職が深沢不動教会も管理に置いた。平成8年(1996年)に現在の本堂が完成した。
なお、入口は医王寺とは独立している。毎月28日の縁日には、大護摩が焚かれる。
深沢不動前の交差点は、駒沢公園通りと駒沢通りの交差点にあたり、交通の要所にもなっている。
山門と本堂・wikipedia-photo

医王寺の山門前にある「深沢小学校発祥之地の碑」・wikipedia-photo、深沢不動教会・wikipedia-photo、深沢不動交差点・wikipedia-photo  (wikipedia・医王寺_(世田谷区)より)]

醫王寺 – Google Map 画像リンク」、「医王寺境内の小祠 – Google Map 画像リンク

カメラ北西方向が医王寺旧山門です。

カメラ北西方向が医王寺山門です。

カメラ西方向が深沢不動教会です。