マーカーは念仏車です。
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で岩戸記述の上に念仏車があります。
念仏車
[旧岩戸村(現東京都狛江市岩戸)との境に近い、「いかだ通」と「中通」の交差した地点にある。
念仏車とは念仏を唱えながら廻すものであり、一回廻す毎にお経を一巻読んだと同じ功徳があるとされ、念仏の功徳をより効率良く広めるものとして造立されたと考えられる。当地の念仏車には石造四角柱の上部に六角形の車輪が取り付けられており、各面に六字名号の各字が刻まれている。
銘文によるとこの念仏車は文政四年(一八二一)十一月、喜多見郷の「女念仏講中」によって建てられた。念仏講は女性のみによって構成される場合がままあり、このような念仏講による地蔵等の造立例が区内でも幾つか認められる。しかし区内で近世以前に造立された念仏車の遺例は他に見られないので、この念仏車は近世世田谷の女性による信仰の遺跡としてはかなり貴重な例といえる。
またこの念仏車の傍らの小祠には、元禄五年(一六九二)の庚申塔、並びに享保四年(一七一九)の地蔵が安置されており、近世の喜多見村における民間信仰の面影を今に留めている。
平成元年九月
世田谷区教育委員会 (「念仏車 – Monumento(モニュメント)」より)]
念仏車案内板(Google Map 画像)
「念仏車 – Google Map 画像リンク」、「庚申塔 – Google Map 画像リンク」
カメラ北方向小祠前に念仏車と案内板があります。
念仏車(Google Map 画像)