マーカーは杓子稲荷神社です。
杓子稲荷神社
[古道、滝坂道から少し住宅街の中に入ったところに杓子稲荷神社があります。とても小さな神社で、住宅街の中にひっそりとあるというか、埋もれているというか、儚い感じで存在しています。今はとても小さい神社ですが、実はなかなか由緒のある神社だったりします。
備え付けられている由緒書などによると、室町時代、足利管領の下で権勢を響かせていた吉良氏がこの地を治めることとなり、世田谷城を築きました。その際に鬼門鎮護としてこの地に伏見稲荷を勧請したのがこの神社の始まりだそうです。その後は吉良氏のもとで手厚い保護を受けていましたが、戦国末期に吉良氏の滅亡とともに神社は廃れていったそうです。後年、近くの松原宿の住民などによって再興され、今日に至るまで地元の人々に信仰され続けています。
やはり気になるのは「杓子」という名前です。これは吉良氏の子供が病弱だったため、その乳母が「杓子の能くもろもろの飲食物をすくいて餘さざるが如く、若君を救いて強壮ならしめえ」と、毎日この神社に杓子を捧げて祈願したことから「杓子様」「杓子稲荷様」と呼ばれるようになったと伝えられているみたいです。
なぜ杓子なのか。それは神社の由緒書に「杓子の食物を掬うは救うに通じ、全ての病難・災難を祓い、福徳円満、長寿開運、万福招来の象徴であります。」と書かれていました。そのほか昭和の記述などを読むと、この稲荷神社は地元の人から「おしゃもじ稲荷」とも呼ばれていて、百日咳にかかったときに稲荷様へお参りし、おしゃもじでご飯を食べたそうです。いわゆる咳の神「おしゃもじ様」という信仰があったようです。
なぜしゃもじが咳の神に通じるのか。それはおしゃもじ様は元々は石神であり、日本人得意の語呂合わせで、「石神」→「せきしん」→「せきのかみ」→「咳の神」となり、また「石神」→「しゃくじん」→「しゃくし(杓子)」→「しゃもじ」といった言葉の変化で御利益があると信じられていたようです。杓子といえば安産祈願に使われたり、底を抜いて海運の安全祈願に使われたり、咳の病気を治したり、果てには全ての病難・災難から救ってくれたりと、身近にありながらなかなか奥の深い道具かもしれません。 (「世田谷の秋祭り File.19 杓子稲荷神社例大祭 – 世田谷散策記」より)]
「杓子稲荷神社|世田谷区梅丘の神社 – 猫の足あと」、「杓子稲荷神社」
カメラ東南東方向が杓子稲荷神社です。