東玉川神社

マーカーは東玉川神社です。

東玉川神社
[東玉川神社の創建年代は不詳ですが、旧等々力村字諏訪に江戸時代には既に鎮座していました。社殿は、約400年前の建物で昭和14年に渋谷の地より移築したといいます。
東玉川神社
もと等々力村に属し、字を諏訪分と称し、下沼部・奥沢本村・雪ヶ谷村の3村に囲まれた地で、大平分とも称した。現在東玉川町となったので、その鎮守諏訪神社を東玉川神社と改めた。大平分というのは大平出羽守の砦があったからだという。東玉川神社は、勧請の年月不詳、「新編武蔵風土記稿」によると「社2間に9尺、同村西光寺ノ持」となっていた。祭神は大山咋神建御名方神で、例祭は8月22日である。西光寺は廃寺で、等々力村にあり、住慶山と号し、満願寺塔頭で、本尊は大日如来の1尺5寸(45cm)の坐像、火災にあって、わずかに庵室のみが残っていた。(せたがや社寺と史跡より)  (「猫のあしあと – 東玉川神社」より)]

[もともとこの地には諏訪神社が鎮座していたが、明治41年(1908)等々力の熊野神社(玉川神社)に合祀された。ところがその後、この地が急速に発展を遂げ、氏子の間に諏訪神社再建を望む声が高まった。しかし府庁の許可が下りなかったため、やむなく府庁と協議の上、昭和16年(1941)野毛の日枝神社を移転遷座し、地名に因んで東玉川神社と改称した。この野毛の日枝神社は、寛永年間(1624~44)井伊直孝近江国日吉大社より勧請したものである。現在の社殿は、遷座に当たって渋谷氷川神社の旧社殿を移築したもので、世田谷区の有形文化財に指定されている。  (「東玉川神社 | 東京都世田谷区 | 古今御朱印研究室」より)]

東玉川神社 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が東玉川神社参道口です。

東玉川神社拝殿前のカメラです。

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