桜の庚申塔・地蔵尊

マーカーは桜の庚申塔です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
1896~1909年地図で満中在家の右上に桜の庚申塔・地蔵尊があります。

桜の庚申塔・地蔵
[世田谷区には古道がいくつも残っていて、小田急線千歳船橋駅の南側に東に向かって伸びる道がある。江戸時代は府中道と呼ばれた道で、甲州街道の給田から千歳船橋を経て、ボロ市で有名な世田谷の代官屋敷へ繋がっていた主要道である。経堂の近くでこの道は南北に分岐し、ボロ市通り手前で再び交わる。この北側の道の途中の民家の門前に庚申堂がある。
この庚申堂の場所は東西の古道に、北の宮坂からの道が出合い、クランクして南に延びていく変則の辻に昔からある。 唐破風笠付の角柱庚申塔で、高さは120㎝ある。青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が描かれている。
ピンクの布がそれらを隠しているが、結構彫りの深い邪鬼と三猿である。造立年は享保10年(1725)9月で、瀬田谷村とあるのは世田谷村のこと。願主名が15名彫られているが、軽部と杉本がそれぞれ5名ある。庚申塔の前に置かれている水鉢がまた庚申講中のもので、嘉永2年(1849)2月の手洗い鉢。  (「桜一丁目の庚申塔(世田谷区桜) – ぼのぼのぶろぐ – ココログ」より。)]

[桜一丁目の庚申塔の向かいにあるのが桜二丁目の地蔵。 この道が一丁目と二丁目の境で、地蔵と庚申塔は数mしか離れていない。古道の辻にそれぞれ立ち続けてきた石仏である。地蔵は角柱の台石に載っていて、全体の高さは116㎝だが、地蔵自体は45㎝程。台石に書かれた文字は半分以上摩滅して読めないが、「三界万霊 無学了…」とある。右側には造立年の宝暦9年(1759)9月の文字が見られるが、ピンクの布を上げると舟形光背型らしい地蔵の脇に寛政6年(1797)11月再建と書かれている。  (「桜二丁目の地蔵(世田谷区桜) – ぼのぼのぶろぐ – ココログ」より。)]

庚申塔 – Google Map 画像リンク」、「お地蔵様 – Google Map 画像リンク

カメラ北東方向が桜の庚申塔で、カメラ北西方向に地蔵尊が祀られています。

桜の庚申塔(Google Map 画像)

桜の地蔵尊(Google Map 画像)