マーカーは桜丘1丁目庚申塔です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。桜丘1丁目庚申塔のあった場所は、絵図反転表示の四つ切左上・「経堂在家」右下方向、善徳院(現在は無い)左上の十字路になると思われます。)
「今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷 謙二(人文地理学研究室) – 首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
桜丘1丁目庚申塔
[東京農業大学の裏手には東西に走る二本の古道がある。大昔は府中道と呼ばれた道である。 またここには南北に走る用賀二子道という古道があり、この場所はその辻になっていた。 この用賀二子道は関東大震災後に陸軍自動車学校が出来て消滅し、後にその敷地が現在の東京農業大学のキャンパスになった。
台座は後に設置された大きなもので、合わせると2mほどの高さがある。道標も兼ねているので情報量満載の庚申塔になっている。 上部には青面金剛像、下半分は願主の名前と共に「西 府中道四里」とある。実際に府中の武蔵国府跡までの道のりは16㎞程である。
また裏面には「東青山道 二里半」、南面には「南大山道 二子川迄一里余」、北面には「四ツ谷道二里半余」とある。 東は世田谷ボロ市通りを経て三軒茶屋で大山道に合流し青山一丁目まで10㎞、南二子玉川は4.3㎞と正確な道のりが刻まれている。 北の四ツ谷道も羽根木から甲州街道に出て四谷まで11㎞だから感心する。
造立は安永7年(1779)だから庚申塔としてはそれほど古いものではないが、ずっとこの古道の辻にあったのだろうか傷みは激しい。文字刻の下には三猿が小さく描かれている。地元の古老の話では、この庚申塔から南側への道は大正5年まであったという。 (「ぼのぼのぶろぐ – 桜丘1丁目庚申塔(世田谷区桜丘)」より)]
「横根の庚申塔(道標) – Google Map 画像リンク」
カメラ南方向が桜丘1丁目庚申塔です。
桜丘1丁目庚申塔(Google Map 画像)