マーカーは池尻稲荷神社です。
「大山道マップと史跡ガイド」 – 「大山道マップ(A3版)(PDF形式 2,966キロバイト)」
池尻稲荷神社
[池尻稲荷神社は、今から350年前の明暦年間(江戸時代の初期)に旧池尻村・池沢村の両村の産土(うぶすな)神(がみ)として創建鎮座になったもので、それより村の共同生活と信仰の中心として現在に至りました。俗信仰としては、古くから「火伏せの稲荷」、「子育ての稲荷」として霊験あらたかと伝えられております。
当時は、大山街道(現在の旧道)のほとり常光院の片隅に勧請(かんじょう)されたもので、村民の信仰は勿論のこと、当時矢倉沢往還(現在の二子玉川方面道路)と津久井往来(現在の上町方面道路)の二つの街道からの人々が角屋・田中屋・信楽屋の三軒の茶屋(三軒茶屋の起源)で休憩して江戸入りする道筋にあり、また、江戸から大山詣での人々が大坂(現在の旧山手通りと大橋の間の坂道)を下った道筋で道中の無事を願い、感謝する人々の信仰が篤かったと伝えられています。現在も遠方の崇敬者が多いのは当時からの御神徳のあらわれであります。
この神社の境内にある井戸は、「薬水の井戸」と云って古くからあり、現在は、境内本殿より東側の由緒書き掲示板の下に位置します。伝えによると、『京都の伏見稲荷大社の稲荷山に御鎮座の薬力明神の託宣により < 神の道を信じ勤め、その病気の平癒を心に三度祈念し、神の道の薬として飲みほせば薬力明神の力により病気立ち所に快癒す > と伝えられています。』勿論、神水をいただけば薬もいらぬ、医者も不要といったような迷信化した考えは正しくありません。一般的な「お水をいただく」という信仰も、心身の罪穢れを祓い除き、神のミタマノフユを蒙る為に、清い神聖な神水をいただき、神の霊感を仰いで病からも災いからも免れようとするものです。このように「薬水の井戸の伝え」「お水取り」は、罪穢れを清める祓いであり、神に供えたものをいただいて霊威にあやかる信仰と解すべきでありましょう。 (「池尻稲荷神社ホームページ」より)]
[池尻稲荷神社(いけじりいなりじんじゃ)は、東京都世田谷区池尻にある神社。古くから「火伏せの稲荷、子育て稲荷」として住民に信仰されてきた。また大山道(矢倉沢往還)に面しており、江戸からの大山詣で旅人が水を求めて立ち寄ったとされる。「大山道と池尻稲荷」としてせたがや百景に選定されている。
歴史
●明暦年間(1655年〜1657年) – 池尻村、池沢村両村の産土神として創建された。
●1930年(昭和5年) – 総檜造りで社殿が再建新築される。
大鳥居・wikipedia-photo
池尻稲荷神社拝殿・wikipedia-photo
境内社の清姫稲荷神社・wikipedia-photo、境内社の水神社・wikipedia-photo (wikipedia・池尻稲荷神社より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「池尻」と「池澤」の間に稲荷と描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「北澤 粟島社 池尻 祖師堂」(8-39)
北澤 粟島社 池尻 祖師堂(拡大図)
[挿絵の左上に「本社」とあるのが北澤淡島社で、「別当」は森巌寺(しんがんじ)で、中央上側の「八まん」は北沢八幡です。中央下の「祖師堂」は常光寺(祖師堂(常光寺)は現在ありません。)で、その左下にある「いなり」は現在の池尻稲荷神社のようです。右下の道は大山道です。 (「歴史散歩 江戸名所図会 巻之三 第八冊」より)]
カメラ位置は玉川通りで、カメラ南南東方向が池尻稲荷神社参道です。
カメラ位置は「旧大山道」で、カメラ北西方向が南参道で、参道左に「旧大山道」の碑と「かごめかごめ」の像があります。
池尻稲荷神社拝殿前のカメラです。