マーカーは満願寺です。
満願寺
[満願寺(まんがんじ)は、東京都世田谷区等々力にある真言宗智山派の仏教寺院。
伝承によれば平安時代末期の創建とされる。文明2年(1470年)、吉良氏の祈願寺として世田谷城の出城、兎々呂城(とどろき)に再興され、中興開山は定栄和尚と伝わる。総本山での機能を有した常法談林所である。天文年間に深沢の兎々呂城(現在の東京都立園芸高等学校)から現在地に移転された。江戸時代になると御朱印寺寺領13石を与えられた。このときそれまでの山号医王山を現在の致航山と改め、本尊を薬師如来から金剛界大日如来とした。松林の山門を入れば本堂を正面に右手に庫裡、左手に講堂がある。本堂右奥の池には1990年(平成2年)落成の大塔が建つ。
満願寺本堂・wikipedia-photo
(wikipdia・満願寺_(世田谷区)より)]
[文明2年(1470)吉良氏によって開基され、開山は定栄和尚、本尊は大日如来である。江戸時代には、御朱印寺領13石が与えられていた。山門の額は細井広沢、本堂の額は広沢の子九皐の筆である。細井広沢は、元禄年中その学識をもって柳沢吉保に重用され、晩年は玉川を愛して蕉林庵玉川と号した。当代の代表的名筆家として知られている。寺内の墓は国の史跡に指定されている。(世田谷区教育委員会掲示より) (「猫のあしあと – 満願寺」より)]
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央下方向・「等々力」右上方向に満願寺が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「満願寺」(8-9)、「致航山満願寺解説-1・左ページ中程から」(8-11)、「致航山満願寺解説-2」(8-12)
満願寺(拡大図)
[図会左ページに満願寺、右ページに玉川神社(熊野社)が描かれています。]
カメラ北北西方向が満願寺山門です。